今は昔のこと、ある屋敷に仕える若い女がいた。両親もなければ親類もなく、これといった知り合いもないので、頼りにする者もいない。いつも、自分の部屋にばかり引きこもって、病気にでもなったらどうしようかと、心細く思っていたが、定まる夫もないのに身ごもった。

そこで、いよいよはかない身の上を、嘆き悲しんでいたが、子供を産もうにも、まず、どこで産んでよいかと思うにつけ、どうしてよいかわからず相談するものもいない。主人に申し上げようと思ったが、恥ずかしさが先に立って口に出せない。

ところでこの女は根が賢い女で、こう思いついた。「もし産気づいたら、ただひとり、召し使っている女の童連れて、どことも知れぬ深い山に行き、どんな木の下でもいいからそこで産もう。もし死ぬ定めなら、誰にも知られずにすむだろうし、もし命が助かるようなら、何ごともなかった様子でお屋敷へ戻ろう」と決心した。

こう思ったものの、しだいに臨月が近づくにつれ、言いようもなく悲しくなったが、素知らぬふうに装って、ひそかに手はずをととのえ、食料など少し用意して、召し使っている女の童にも事情を言い含め、日を過ごしているうちに、いつしか臨月になった。



ある朝、まだ暗いうちに産気づいたので、夜の明けぬうちにと思い、かねてから用意していたものを女の童に持たせ、急いで屋敷を出た。東に行くほうが山に近いだろうと思い、京を出て東に向かううちに、加茂川のあたりで夜が明けた。さあどちらへ行こうかと心細く思ったが、気を取り直し、休み休みしながら粟田山(あわたやま)のほうに歩き続けて、山深く入った。

よさそうなところを、あちこち見歩くうちに、東山科というところに行き着いた。見ると山の片側に山荘のような造りで、今はすっかり古びて壊れかけた家がある。人の住む気配もない。ここでお産をして、子はそのままにして、自分一人だけで帰ってこようと思い、どうにか垣根を越えて中に入った。

放出の間(はなちいでのま、母家に続く別棟)に上ってみると、板敷がところどころ腐っている。そこで一息ついて休んでいると、奥のほうから人が来る足音がした。

困ったことになった。人が住んでいたのか? 、と思うまに、引戸ががらりと開いて、白髪の老女が出てきた。きっと口ぎたなく、ののしられるのだろう、と覚悟していると、優しげに微笑んで「お見かけしないお方だが、どうしてここへおいでなされた?」と聞くので、女は泣く泣くありのままを物語った。

「それはまあ可哀そうに。そんなことならここでお産をなされよ」と言って、家の中へと案内したから、女は心から喜んだ。これは仏様がお助けくださるのだ、と思って奥へ通ると、粗末な畳などを敷いて寝かせてくれた。やがて無事お産をした。

すると老女が来て、「おめでたいことです。わたしはもう年を取り、こんな片田舎に住む身じゃから、産のけがれなど忌みはいたしませぬ。七日ばかりは、このままここにおいでなされて、それからお帰りなさいませ」と言い、女の連れて来た女の童に湯などを沸かさせ、産湯をつかわせてくれたりするので、女は感謝に堪えない。

捨てようと思っていた子も、たいそうかわいい男の子だったので、捨てる気にもなれず、乳を飲ませて寝かせていた。



こうして、二、三日ほど過ぎたが、女がうつらうつらと赤んぼのそばで昼寝をしていた時に、この老女がそっと来て、赤んぼを見ながら言うには「なんとうまそうな、ただのひと口じゃ」

この声を夢見心地に聞いて、驚いて薄目を開いてこの老女を見ると、ひどく恐ろしげに気味悪く思われる。さては鬼だったのか、この分では、わたしもきっと食べられてしまうだろう、と思って、何とかこっそり逃げ出そうと決心した。

そのうち、たまたまこの老女が、ぐっすり昼寝をしているのを見届けたから、産んだ子を女の童におぶらせて、自分は取る者もとりあえず、一心に仏の御名を念じながら、こっそり山荘を出た。

来た道をもとに戻って、ひた走りに走って逃げたから、やがて粟田口に出た。そこから加茂川の河原のほうへ行き、人家に立ち寄って着替えなどをして、夕暮れを待って主人の家にたどり着いた。



賢い女であったから、こういうこともできたのである。産んだ子は人に預けて養わせた。その後、この老女のことは聞こえていない。また、この女も、決してこの話を人にもらすことはなかったが、年をとってからつい人に話したものであろう。

これを思えば、そうした古い家には、必ず怪しいものが住んでいるものだ。その老女が赤子を見て「なんとうまそうな、ただのひと口じゃ」と言ったのは、その正体が鬼であった証拠である。つまりは、物騒なところには、連れもいないのに、はいりこんではならない、という話である。

(巻27第15話)

これも鬼の話か?