今は昔のこと、播磨の国(<はりまのくに> 現、兵庫県西南部 )のなにがしの郡で、死人が出て穢れたので、お祓いなどをして清めてもらおうと、陰陽師をたのんだことがあった。すると、その陰陽師が、「きたる、これこれの日に、この家に鬼が来ます。よくよく慎まぬとたいへんですぞ」と教えた。

家中の者は、それを聞いて、すっかり震えあがり、「いったい、どうしたらよろしいのか?」と聞くと、陰陽師が、「その日は厳重に物忌み(<ものいみ>門戸を閉じ、外部との接触を断って、屋内に引きこもり、ひたすら心身を清め、行為を慎むこと)すべきである」と言った。



とうとう、その日がやって来たので、かたく物忌みをして「その鬼はどこからどのような形をして現われますか?」と陰陽師に尋ねると、「家の門から人の姿をしてはいって来よう。こういう鬼神は、姑息なことはしないものだ。正々堂々と来るものだ」と教えた。そこで家の門に物忌みの札を立て、桃の木(桃の木や実には古来から災厄を避ける霊力があるとされた)を切ってふさぎ、呪法を行った。

その間に、鬼が来るという時刻がしだいに近づいた。門をしっかり閉め、こちらから側の家の隙間からのぞいていると、藍ずりの水干袴(すいかんばかま)を着た男が、笠を首にかけ、門の外に立って、こちらをのぞいている。そこに陰陽師が、「あれが鬼だ」と教えたから、家中の者どもはすくみ上って怖がった。

鬼はしばらくのぞき見をしていてから、どうして入ったともわからぬうちに、もう家の中にいた。かまどの前に立っている。一度も見たことのない人相である。

そこで家の者たちは、もうあんなところに来ている、どんなことになるのだろう、と皆、肝を冷やして見ていると、この家の主人の子に若い男がいて、それが、心の中で、もはや何をしても、この鬼に食われてしまうだろう。どうせ死ぬなら、この鬼を射て後世に名を残してやろう、と決心して、物陰から先のとがった大きな矢を弓につがえて、強くひきしぼると鬼を狙って射た。

矢はみごとに鬼の胴体に当たった。鬼は射られて走り出した、と見るうちに、かき消すように消えうせた。矢は突き刺さらずにはね返っている。家中の者はこれを見て「とんでもないことをしたものだ」と言って騒ぐから若者は、「どうせ死ぬなら後の世の語り草ともなるだろうと思ってやってみたのだ」と弁解した。陰陽師もあきれ顔でいるばかりだった。その後その家には格別のこともなかった。



そうすると、これは、陰陽師が仕組んだことではないかとも疑われるが、家の門から入ってきた様子といい、矢がはね返って立たなかったことといい、どうもただ者であったとは思われない。鬼が現実に人の姿をして現われることは、めったにない恐ろしいことだ、という話である。

(巻27第23話)

 

またしても鬼の仕業か? 鬼にも個性があって面白い