今は昔のこと、大和の国のなにがし郡に、住む人があった。娘が一人いて、姿かたちも美しければ、心ばえまで清らかだったので、父母は大切に育てていた。

一方、河内の国のなにがし郡に、住む人があった。男の子がひとりあって、年も若く、男ぶりも良かったので、京にのぼって宮仕えをしていた。笛を上手に吹いた。性質も優しかったので、父母からもたいそう可愛がられていた。



さてこの河内の国の若者は、かの大和国の娘が、みめうるわしいと伝え聞いて、たびたび恋文をを送って心のたけを訴えた。娘の両親は、しばらくの間は聞き入れようとしなかったものの、あまりに若者が熱心なので、とうとう娘に逢わせてやることにした。

それからというもの、この二人は、互いに思い思われて一緒に暮らしていたが、三年ほどたってから、夫のほうが思いもよらぬ病気になり、看病のかいもなく、やがてとうとう亡くなった。

女は心から嘆き悲しみ、亡くなった夫のことばかり思いつめて暮らしていた。しきりに恋文をよこして求婚する者も多かったが、聞こうともしない。夫を慕って鳴き暮らしているうちに、いつしか時がたって三年目の秋がきた。



あたりの寂しさに、いつもより、ひとしお涙にかきくれて横になっていると、夜中ごろになって、遠くのほうで笛を吹く人がいる。ああ、なんと昔の夫の笛に似ていること、いよいよ哀れと思ううちに、笛の音がしだいしだいに近づいてくると、その女の寝ている蔀(しとみ)のそばに来て、「ここをおあけ」という声、まさしく昔の夫の声にまぎれもないから、あっと驚いた。

悲しいよりも恐ろしさが先に立って、そっと起き上がって、蔀の隙間からのぞいてみると、間違いもなくわが夫が、そこに立っていた。夫は泣きながら次のような歌を詠んだ。


しでの山こえぬる人のわびしきは
恋しき人にあはぬなりけり

(死出の山を越えて、いま冥途にいるわたしがこうも悲しいのは、恋しいそなたに会えないからなのだ)


こう言って立っている姿は、生きていた時のままであるのが恐ろしい。袴のひもは解けていた。(親愛の情を示す)また体からは煙が立ち登っているので、女は怖くて物も言えずにいる。

すると夫は、「無理もない。そなたがわたしを恋い慕ってくれるのが哀れなので、無理にでも暇をもらってきたのだが、そんなにわたしが怖いのなら、もう帰ろう。わたしは日に三度、集熱の苦しみを受けているのだよ」と言って、かき消すように見えなくなった。

そこで女は、これは夢ではないかと思ったが、現に見たことに間違いなかったから、ただ不思議なことと思うばかりであった。



これを思えば、人は死んだ後にもこのように姿かたちを現すことができるものだ、という話である。

(巻27第25話)