あれから、コウのおばあさんとアンは一緒に暮らし、仲良くなった。
そこへある夜更け、ジルおじいさんを訪ねて来客があった。
「ジル=ノラ老師は御在宅でしょうか。ケンという旅の者です。村の入り口のお宅でここが老師のお宅だと聞いたものですから。でも亡くなってしまわれたとか…」
アンが応待した。
「ジルおじいさんは三年前に他界しました。残念ですが…」
「そうでしたか。『妖精の書』というものがあるということを知りまして、ジル老師が最後の伝道者であると聞いて興味を持ったのです。お話をうかがいたくて…。でも亡くなっていたとは。せめてその書だけでも見せていただけませんか」
「ジルおじいさんが最後の伝道者ではありません。お孫さんが今、引き継いでいます。よろしければ明日の朝ご案内しましょうか?」
「それならばぜひ」
「今晩の宿はどうなさるのですか。村には宿がありません。よろしければうちへ泊ってください」
「それならば御厄介になりましょう」
*
翌朝、アンはケンを連れて、村の南西部の森の中にある、コウの家を訪ねた。
コウは相変わらず寝ていた。きまり悪そうな寝ぼけ眼で申し訳なさそうにアンを迎えた。
「おばあさんは元気かい。任せっきりで悪いね」
「おばあさんとは仲良くしているわ。気が合うの」
「そうかい。機嫌が悪そうだね」
(仕方ない。アンから逃げるように、おばあさんの世話を丸投げしてしまったのだから)
「いえ、ちっとも。今日はお客さんよ。昨夜は本宅で泊まってもらったの。ケンさんよ」
「初めましてケンと申します。『妖精の書』のうわさを聞いて、ぜひ読みたいと思いました。ジル=ノラ老師は亡くなったとか、でもあなたに『妖精の書』の伝道が受け継がれたとか。でも、まだ、お若いのですね」
「はい。今年、成人したばかりです」
「ならわたしと同い年だ。『妖精の書』を読むには熟練が必要だと聞いたのですが…」
「まだまだ修行中です。わけあってほぼ独学です」
「あなたこそなぜ『妖精の書』に興味を?」
「わたしは、旅をしながら小説を書いて、生計を立ててます。わたしたち物書きにとって、『妖精の書』には、多く学ぶことがあると思い、参上したまでです」
「まずはその、かしこまった話し方はやめましょう。同い年なのだから。後ろにいるアンも同い年ですよ。看護師をやっています」
「アンさまはもっと、お若く、見えました」
「お世辞が上手なこと」
アンの機嫌は直った。
「じゃあわたしは本宅に戻るわ。おばあさんが待っているもの」
*
コウとケンの会話は佳境に入っていった。
ケンが尋ねた。
「『妖精の書』は古語で書かれているのですね」
「古くから伝えられてきた書だからね」
コウが答えた
「古語ならわたしも読めますよ。読書で古典も読みますから」
「でも読めるだけじゃダメなんだ。正確に理解しないと『妖精の書』は反応しない。正しく理解されたなら、場に青い光が満ちて、その文言を明滅させる。熟練が必要なのさ」
「まるで魔導書ですね」
「そうだね」
コウとケンは意見が合った。
コウはこれまで理解したお告げをケンに説明しながら妖精の書を青く明滅させた。
ケンは言った
「これは知恵の書だ。なんて素晴らしい。偶然、パッと開いたところを理解できればの話しだけど、拾い読みするだけで心が解放される。旅の物書きにとってこれ以上の書はない。常に携帯したい書だ。しばらくこの地に留まらせてくれませんか」
「歓迎さ、でも、ジルおじいさんから習ったのは古語の習得だけなんだ。死んじゃったんでね。古語を知る者同士協力しよう。いつまでも留まったっていいよ。いっそこの地に根を張ることにすればいい」
「あいにく僕はもっと広い世界が知りたいのさ。根無し草かも知れないね」
*
村は時流に乗り、便利になったせいか、余暇を持て余す人が増えた。娯楽にも夢中だ。そのせいかどうか、村では妙な病が流行っていた。ベル先生の病院の戸を叩くものが後を絶たない。その病は、いつぞやの『コード』のように外部を原因として発症するものではないようだ。心の内から発症するものであるらしい。先生は心療内科も兼ねていたが、専門ではない。アンに言伝て、またしてもコウの『妖精の書』に助けを求めた。
ある患者は無性に自分の過去にとらわれた。また、ある患者は未来に希望が持てないという。
村人は、これまでは忙しくして、今に集中するしかなかったのに。余暇を持て余し、今以外に心を向けたのだろう。考え過ぎる自分が、かつてかかった病と同じだ。それを『おじいさんのノート』の「今でしょ!」(第3章・第13話)の項目を開いて、患者に説明した。すると、患者はその言葉の力に励まされて気持ちが解放された。このやり方を繰り返して、コウはすべての患者を治してしまった。幸も不幸も紙一重だ。便利な生活の裏にこんな落とし穴があるとは…。
コウの様子をそばで見ていたケンは、感激して「おじいさん自記筆のノートがあるんだ。自分の書もこうありたいものだ」と叫んでしまった。
*
翌日の日曜日に、同い年の5人は集まった。コウ、コッコ、それにケン、ヨナにアン。話題はケンのことに集中した。
コッコは、ケンのことを「吟遊詩人だ」という。
「この村でも皆に話を聞かせてくれよ」
ヨナは、「何処を旅してきたの?」と聞く。
「わたしは遠くてもせいぜい電車で1時間の自分の学んだ学校のある街しか知らないわ」
ケンは「世界は広いんだ。その何万倍、いやそれ以上にも広いんだ」と言った。
ヨナには世界の広さが想像できなかった。
アンは、ケンに「コウを助けてほしい」と言った。
「『妖精の書』の読解が済んだのはコウ自身に関することばかり。膨大な量のお告げが残っているの」
コウは「助けてくれると嬉しいと言った」
それからは、コッコの持って来たお菓子をつまんで皆で談笑した。
夕方になって皆は明日の仕事の準備に、それぞれの家に帰っていった。
ケンは、コウの家、つまり、かつてのジルおじいさんの書庫に世話になった。
アンは、おばあさんを助けるためにノラ家の本宅に向かった。
*
ケンはコウの家に戻ってからも『妖精の章』と『おじいさんのノート』を読みふけった。すると自分の旅の経験が案外『妖精の書』の読解に役立つことが分かった。
例えば、「孤独」という項目を読んでみた。「生まれる時もひとり。死ぬ時もひとり。人は根源的な孤独を抱えている」とある。『妖精の書』は青い光を放ち文言が明滅した。お告げは成就された。文言の先に✕印が記されている。どうやら仲間に囲われているコウには、この文言が理解できなかったようだ。自分にもコウの助けができるというサインを目の当たりにした。