今日は、週一回の、村立ベル病院の診療日だ。村立と言ってもコッコが建てたようなものだけど…。

コウは早速、ハルおばあちゃんを連れて来院した。おばあちゃんは血圧が高い。ベル先生は血圧を下げるお茶を処方した。漢方のようなものだろうか? おばあちゃんの血圧は正常値を維持している。

 

 コウにとっておばあちゃんは、この村でただ一人の身内。大切な存在だ。食が偏りがちなコウに時々ご飯を作ってくれる。毎朝、仕事に行く前に、おばあちゃんの家を訪ねて無事かどうか確認して行く。おばあちゃんの家は、今は亡き、師匠であるジルおじいさんの本宅だった。

 

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 ある朝だった。コウは、これ以上の絶望はないんじゃないかという体験をした。おばあちゃんに声をかけると、おばあちゃんは暗い顔をして「あんた誰」という返答が返ってきたのだ。「おばあちゃんの孫だよ」と答えようと思ったが言葉を失った。

 

次の日の朝、同じようにコウはおばあちゃんを訪ねた。おばあちゃんは「コウ。おはよう」と言った。いつもの通りだ。今度は安心した。これほどの安堵は無かった。それにしても昨日のことが気になった。

 

朝からアンが仕事の手伝いに来ていたので昨日のことを看護師の目からどう見えるか尋ねてみた。

 アンは言った。「来週ベル先生に診てもらうといいわ。わたしもコウ君の心配と同じ意見よ」

「つまりボケが始まったということ?」コウが尋ねた。

「その可能性が捨てきれないわ」とアンが答えた。

 

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 ベル先生の診療日がやって来た。先生はおばあちゃんに、今日は何曜日かを尋ねたり、記憶力テストをした。ベル先生はコウだけを診察室に呼んで診断を下した。「軽い認知症かもしれないね。それか、疲れているだけかもしれない。ジルおじいさんを亡くして、ひとりぼっちだろ、刺激がないと返って疲れるものさ」そばにいたアンが「介護ならできるわ。もしもの時は全部わたしに任せて」と言った。

 

この言葉が意味することをコウはあまり深く考えずに「助かる」と言ってしまった。介護に休みはない。「全部わたしに任せて」ということは一緒に生活を送るということになるのだろうか。アンはコウのことが好きだった。つまり、そういうことだ。

 

コウはアンのことを友達として好きだった。コウは恋愛には淡白だった。どこか受け身だった。しかし、若い男女がひとつ屋根の下で暮らすということは、あらがいようがなく、子ができてしまう可能性がある。友情は母子に対する愛情に変わるかもしれない。そうなれば結婚して子育て中心の生活に入って行くことになるだろう。

 

しかし『妖精の書』の読解はどうすればよいのか。コウの父親が跡を継がなかったせいで、一代空いたブランクを埋めるため、『妖精の書』の読解を、コウは独学でやっていかなければならなかった。子育ての時間が物理的にもてないのだ。だから子供はたくさん作って跡取り候補を増やしたかったけれど、もっと年をとってからでもいいと思っていた。

 

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 やがて、おばあさんは認知症ではないけれど、介護を必要とした。足腰が悪かった。アンは週一の病院の診療日以外の開いている時間を、おばあさんの家で過ごし、おばあさんを助けた。

 

それに対し、コウはアンに対して卑怯な手を使った。要するに、おばあさんのことをアンに丸投げしたのだ。アンにも大切なおばあさんにも悪いことをしたと思っている。コウは、自分の家にしている今は亡きジルおじいさんの書庫に閉じこもって『妖精の書」の読解を続けたのだった。

 

一方、こちらもコウのことが好きだったヨナは、アンと生活を共にしない、コウのことを聞いて、活気づいた。コウとの距離が離れてしまったように感じていたのだが。自分にもまだチャンスがあると思ったのだ。そして教師のヨナには、コウのおばあさんを助ける時間は持てないが、午後の畑仕事の手伝いと、週二の休みの日にコウを積極的に訪ねることにした。

 

日本語の「幸せ」は、かつて奈良時代には「為合」と書いた。主語は天である。天がそう為さるのでこうせざるを得ない。つまり運命のような意味を持っていた。そして室町時代になると「仕合わせ」と書いた。今度は主語が人となります。つまり相手がこう出たのでこう応じた。という意味になります。両方とも受け身です。こう言う経緯からするとこうとも言えます。幸せとは受け身で得られることなのかもしれないと…。

 

また、現時点ではアンにもヨナにもコウは「仕合わせ」られなかったけれど『妖精の書』には「為合」た。と言えるかもしれません。

 

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コッコは財力があるというのに、ヨナにもアンにも振られていた。コウのことが心底うらやましかった。

 

 しかし、人には人の幸せがある。コッコはスーパーマーケットの仕事に専念した。さらに村立ベル病院を作ったのはご存知の通り。今度は映画館を作った。村の人々には娯楽が足りていないと思ったのだ。その映画館は、町の映画館にも劣らず、大勢が鑑賞できて、最新の技術が盛り込まれていた。村人には大盛況だった。

 

 コッコはさらに財力を得た。コウ、ヨナ、アンが集まる時には、いつもコッコがその場のお金を負担した。これがコッコの幸せのひとつでもあった。

 

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「幸せ」とは少し前に書いた漢字の成り立ちからも(「為合」、「仕合わせ」)、受け身で得るものかもしれない。天や人から授かったものを、本人の意思とは別に、やむを得ず展開したところに幸せはあるのかもしれない。今のところ、コウもコッコもヨナもアンも、皆、道半ばですね。

 

幸せを得ようとして、未来を予断してはならないのかもしれない。そう、計画や目標を立てることは程々にした方が良いのではなかろうか? 未来が思い通りになる事は稀だ。もし計画や目標が達成できなかったら、人によっては、今が失望におおわれてしまうかもしれない。

過去に縛られるのも良くない。過去は、今の心次第で、いい思い出になるものだ。

まっさらの今に没頭したらどうだろうか。考えた末に、これ以上の生き方は、ないような気がする。