ノートから知る、ジルおじいさんの思いとは別に、いくつかのエピソードがある。少し過去のことを語ろう。
おじいさんは晩年、仲の良かった妹に先立たれた。葬式の時に友人が訪ねると、何とおじいさんは鼻歌を歌っているではないか。
あまりのことに友人が咎めると、「人生は夢のようなもの。わしも、始めこそ、めそめそしていたが、命の循環を考えると当然のことが起きたわけで、いつまでも悲しんではいられないと思うようになった。妹は、今頃、転生して、また別の夢を見ているのかもしれない」と言ったという。
つまりおじいさんは人生を夢の連続だと見ていたのだろうか。醒めては気づく、気づきの連続である。毎晩寝て、少しだけ気づく。新しいことに気づくと気づかなかった時の見方は夢のように感じられる。気づくたびにまた新たな舞台へと移行する。毎日の気づきは少しであったとしても、長い年月では大きな気づきとなる。過去の出来事は良いことも悪いことも意味を変えて懐かしい思い出となる。時薬ですね。そして、生と死との間にも、大きな気づきがあったはずだと思っていたのでしょう。だから妹の命が尽きても、泣き崩れるほど悲しまなかったのでしょう。
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またこんなエピソードがある。
今は自然科学の時代。合理が支配する世の中。コウの父親が『妖精の書』を語り継ぐのをやめてしまった理由は納得できる。『妖精の書』の初めにある。抽象的な妖精の正体を説く序章は、誤解を招くには十分すぎた。しかし、それ以外はなんと聡明な書だろう。もしかしたら序章のさすことも、深い意味を込められていたのかもしれない。父もしくは親戚の誰かが継いでいたら一代の空白は避けられたのに…。
まあそれはともかく起きてしまったことは仕方ない。おじいさんは妖精の書の伝導をコウに託した。
おじいさんは寡黙だった。おじいさんの声が思い出せない程。しかし人間関係に興味がなかったわけではない。孫はやはり可愛いと思っていたのだろう。山仕事を終えて帰る途中にかぶと虫や、実っていたイチジクの実をコウのために持ち帰ったりした。おじいさんは皆にとって、とっつきにくい性分だったけれど、本当は、家族の温かみを欲していたのかもしれない。
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また、こんなエピソードがある。
おじいさんは、『妖精の書』の古語の解読法をコウに教えたのだが、コウは呑み込みが悪く、おじいさんの逆鱗に触れるのではないかと心配した。でもその心配は余計なものだった。おじいさんは根気よくコウに付き合ってくれた。おじいさんは誤解されやすい質だったのかもしれない。それゆえに言葉を選んでいた。
言は風波なり、言は常なしという。言葉は気をつけて使わなければならないと心に誓っていたのかもしれない。『妖精の書』のお告げにしてもそうだ。よく考えてお告げを聞いた。言葉には気をつけていた。
「気をつけても気をつけても言葉は信用ならない」とおじいさんは思っていたのかもしれない…。
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また、こんなエピソードがある。
おじいさんはある朝コウに畑仕事を教えた。そう今のコウの仕事のトウモロコシ栽培は、おじいさんから譲り受けたものだ。
「大人になって自立するには仕事を持たなければならない。いつか大人になったなら、これを生業にしなさい。ちょっと大変な仕事だけど、体を動かすことは頭にもいい。『妖精の書』のお告げを読み取るのにも役に立つはずだ」おじいさんからの贈り物だった。
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おじいさんの一生はたえざる葛藤の連続だった。持って生まれた宿命だろう。それゆえにたえず外界に起きていることと、それに対して自己が感じることを天秤にかけていた。そして常に内証した。
そしてこんな時代におじいさんは、村中の人に「理性も大事だが、『妖精の書』のお告げを絶やしてはならない」と言ったのだ。おじいさんをよく知る者には余程の覚悟であったことが分かる。
おじいさんの後を継いだコウには、それほどの覚悟は無かったが、おじいさんの言うことなら信じてみよう、大好きなおじいさんに頼まれごとをされたのだからやってみよう。そして、今、この道を歩いている。しかし思ったより道がけわしかった。しかし義理堅いコウはこの道を歩み続けていくだろう。
そしてコウもやがて妖精の書の本当の大切さを知ることになるのだろう。コウはおじいさんとの約束をきっかけに自己研鑽を始めていった。やはり血は争えない。
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おじいさんは合理一辺倒の現代を疑った。しかしコウはそこまで合理を嫌ってはいなかった。洗濯機は必需品だし、車があれば運転もするだろう。人はもともと合理に傾く性質にあるのではないかと思っていた。だからおじいさんも、合理と『妖精の書』を、車の両輪として語っていたのだろう。
コウは、合理に頼れることなら合理で良いと思っていた。 しかしおじいさんは合理を突き詰めるときりがないと言う。それはその通りだなとコウは思っていたが、どこでブレーキを踏むべきかは、人それぞれだろう。時間を作るために仕方なく合理に頼ることもあっていいのではないだろうか。おじいさんは「きりのない合理は短気を起こす」と言っていた。しかし『妖精の書』の中には、短気を抑制するお告げが山ほどある。
おじいさんが生きていたら、また話し合いたいテーマだった。