コウは、思った。「大概の人は、過去や未来を思って、木に抱きついてキスしたくなるほどの幸福の絶頂感を体験することがないのと同時に、陰気な憂鬱も知らなくてすむということを。でもこの自分の気性のままじゃ、世のなかでは暮らしていけないのじゃないか。なぜ自分はこうなのか?」
しかし彼の気性が彼を助けたともいえる。ヨナやコッコ、それにアンやベル先生のような良き友人に恵まれる。これは彼の才能と言っていいかもしれない。コウは浮き沈みの多い気性を、今では友人のおかげで多くを克服していた。
ようするに、過去や未来を予断して、憂いたり歓喜していたのだ。本当に今を生きているなら、過去も未来も流動的だ。何もかもが変化して行く。一喜一憂している暇がない。『妖精の書』にはこうある。
「不測に立ちて無有に遊ぶ。過去も未来も追い求めない」
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コッコは、スーパーマーケット「COCO友」の経営で忙しい。早朝から晩遅くまで店にかかりっきりだ。アンは週一の病院看護師で、その他の日は不定期でコッコの手伝いをして暮らしていた。ふたりは自然と仲良くなった。しかし、男女の仲にはならなかった。どうやらアンもコウのことが好きらしい。
「コウはモテモテだな。俺には財力があるというのに、だめらしい。お金で買える幸せもたくさんあるのに、ヨナもアンもこっちを向いてくれない。でも相手がコウだから仕方ない。このまま死ぬまで一人かも知れない」とコウのことをよく知る心友のコッコは早くも敗北宣言した。「男の俺でもコウからは離れられないのだから」
アンはコウのこと何とかならないかしらと思っていると、ヨナに釘を刺された。「コウの恋人はあの『妖精の書』だけよ」と。アンはヨナもコウのことを慕っていると直感した。だから釘を刺されたのも彼女の嫉妬ではないかと思いました。しかし、そうではないようです。コウの家に行くと彼は、たいてい『妖精の書』を読んでいました。あれじゃ異性と付き合う暇はないのじゃないか。アンはそう思いました。それでアンもヨナ同様、友達以上は望まなくなったのです。
コウには不思議な魅力があった。それは自分の人生ばかりではなく、他人の人生に対しても、誠実な信頼を抱き続けているという彼の生まれついての素質である。
週一のベル先生の病院も大繁盛だった。ささいな体の変調でも先生は見てくれる。病院は年寄りたちの村の集会所と化していました。
皆はお互いの体調を聞いて「歳には勝てないね」と笑いあった。
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コウ、コッコ、ヨナ、アンの若き4人は、日曜日の午前中、久しぶりに港町にでた。さすが都会。コウたちの住む村とは大違い。映画は見れるし欲しいものが何でも手に入る。コッコは日々の疲れを癒そうとマッサージチェアを配達してくれるように頼んだ。ヨナもアンも新しい服を買った。コウは俺はいいといつも断っていたのに、今日はコーヒー豆を買った。
「このところコーヒーを始めたんだ。コーヒーは良き友だ」とコウは言っている。
「『妖精の書』のように、またのめり込むんじゃないのか」とコッコがひやかした。
コッコは初めにやっていた儲けを度返しにしていた軽食屋でコーヒーも出していた。いわばコーヒーのプロだ。奥が深いのをよく知っている。
ヨナとアンは「この服似合う」とコウに聞いた。コウは「よく似合っているよ」といった。
ふたりはうれしいのだがコウはいつも同じ。自分の主張ということを知らない。ただ相手に同調するのみ。でも二人が喜ぶんならいいんじゃないか。人は最終的に話を聞いてもらいたがっているのだし…。それぞれ買い物が終わると映画を見た。「セオリー」というサスペンス物の映画だ。
夕方前になって軽く軽食をとると村に帰ることにした。コッコは故郷を離れるのを寂しがった。しかし、都会は、便利さとは引き換えに、人が孤立しているように見えた。村の人間関係が今では暖かで暮らし良かった。
アンも同じ意見だった。都会だと看護師の仕事もどこか機械的で単調だった。今の診療所の方が患者さんとの心のこもった会話ができる。
コウはおじいさんの後を継ぐためこの村を訪れたのでここを永住の地としている。ヨナはコウを追いかけて、村で暮らすことを決めた。4人は出会った。一切の成り行きに従って…。
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村に戻ってからの4人はそれぞれ仕事に精を出した。仕事が終わりコウの家に集まると4人は話し合った。やっぱり村はほっとするよ。コッコが言った。アンも、きょうは先生の当直日ではないのでコッコの店で働いていた。ヨナは学校で子どもに村のすばらしさを語り、生徒に村をもっと好きになるように指導した。コウも最近は、きちんと仕事をしている。『妖精の書』ばかり読んでいたあの頃は、のめり込み過ぎたのかもしれない。今は仕事と妖精の書をメリハリをつけてこなしていた。
そして、新たに取り組まなければならないことが見つかったのだ。亡くなった、『おじいさんのノート』が見つかったのだ。おじいさんの『妖精の書』に関する最晩年の覚書だ。これを読めばというか読めれば『妖精の書』の解読に弾みがつく、そう確信していた。ノートは分厚い。読みごたえがありそうだ。難解でもあるのだろう。これを読みこなすには冷静な心が必要だと思った。
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夏の長い日が暮れてゆく。4人は分かれて家路についた。村はひっそりとしていた。コウは今日も質素な晩御飯を食べて、新たな課題である『おじいさんのノート』に向かった。隅から隅まで細かい字でノートが埋め尽くされている。これにはコウもさすがにまいってしまった。初めから読むべきか、それとも最後の項目から読むべきか、それとも適当に開いたところを拾い読みするか迷った。いずれにしても難題だ。ただおじいさんの懐かしい肉筆が読み進めようという気力を倍増してくれる。おじいさんの心が感じられる。
さあ、このノートがコウにどんな道を歩めばいいのか示してくれるだろう。おじいさんはこの村から『妖精の書』のお告げを絶えさせてはならないと語った。その真髄が分かるかもしれない。コウにとってこのノートは、宝だし、光りだ。
『妖精の書』の読解は新たな局面に向かった。