今は昔のこと、いつの代かは分からないが、なにがしといわれる近衛舎人(<このえとねり>上皇、摂関、大臣などの外出に随従する者)があった。宮中の神楽に奉仕する舎人(とねり)であったかもしれない。歌を歌うことがすこぶる上手であった。
その男が、相撲の節のための使い(相撲の節に出場する力士を諸国から集めて来る役の人)となって、東国へ下ったが、陸奥の国から常陸の国へと越える、焼山の関という深い山の中を通って行った。
静まり返った山の中の道を、馬上でうつらうつらしながら道を行ったが、ふいに眠りから覚め気がつくと、ああ、もうここは常陸の国か、はるばると遠くへ来たものだ、と思えば、心細いような寂しい気持ちになる。
そこで障泥(<あおり>馬の鞍から両脇へ垂らした泥よけの馬具)を拍子に打ちながら、常陸歌という歌を歌い、それを二度も三度も繰り返した。
そうすると、この深い人けのない山で、恐ろしい声をして、「ああ、おもしろい」と言って手をたたくものがある。舎人は馬を引きとめて、「誰が言ったのだ?」と後ろからついて来る従者たちに尋ねたが、「誰が言ったともわかりません」との答え。舎人は髪の毛が逆立つほど恐ろしく思い、大急ぎでこの山を通り抜けた。
しかしこののち舎人は気分が悪くなり、何やら熱も出てきた様子。従者どもも不思議に思っているうちに、その夜の宿で、眠ったまま死んでしまった。
そこでこのような深い山の中で、こうした歌をうたってはならない。山の神がそれを聞きつけると、おもしろがって人を引きとめるものである。それにこの常陸歌というのは、もともとこの国の歌で、その国の神が、これを珍重して、今の世にまで残したものである。
それゆえ、この舎人も、山の神がうれしくその歌を聞き、引きとどめたのであろう、つまらぬことをしたものだ。従者たちも主人の身の上を嘆いたが、あきらめて京にのぼり、このことの仔細を物語った、という話である。
(巻27第45話)
山の神に捕えられた者
短いお話です
これで、巻27霊鬼(怖い話)終わります
次は、巻28滑稽(諷刺など)となります