今は昔のこと、但馬の国(たじまのくに)、七美の郡(しつみのこおり)、川山という山里に、若い夫婦が住んでいた。ふたりのあいだには可愛らしい赤んぼが生まれ、大事に育てられていた。
ところが、ある日、この赤んぼが庭で這い這いをして、ひとりで遊んでいた時に、たまたま空高く飛んで行く一羽の鷲が赤んぼが庭にいるのを素早く見つけた。
両親が、赤んぼから、ちょっと目を離していた隙に、鷲は矢のように舞い下りると、この獲物をつかみ取って、みるみる空高く飛び上がり、東のほうを指して、ぐんぐんと飛んで行ってしまった。
赤んぼの両親はあっとばかりに驚いて、泣いたりわめいたりしながら、そのあとを追いかけたが、空飛ぶ鳥は一刻も休まずに、翼を羽ばたいて、空に昇ったから、なんとも追いすがりようがなかった。
それから十余年という歳月が過ぎ、この赤んぼを鷲に取られた父親が用事で、丹後の国(たんごのくに)の加佐の郡(かさのこおり)まで旅をしたことがあった。目的にしていた里に着き、ある一軒の家に泊まった。
その家には、年のころ十二、三と見える、幼い女の子がいた。大路にある村の共同井戸まで、その女の子が水をくみに行くところに、この家に泊まった但馬の国の旅の男も、たまたま足を洗うために行き合わせた。
この共同井戸のまわりには、この里の小娘たちが、たくさん集まって水をくんでいたが、宿にした家から来た女の子の持っているつるべを、奪い取ろうとする。
女の子は拒み、奪われまいとして、争いになったが、里の小娘たちはいっしょになって女の子をののしり「やあい、鷲の食い残し」とはやし立てて、打ったりたたいたりした。女の子は泣き泣き家に帰った。但馬の国の旅の男も、やはりその家に引き上げた。
その家の主は、女の子が泣いて帰って来たのを見て「どうしたんだね、何をそんなに泣いているのだ?」と尋ねたが泣きじゃくるばかりで返事もできない。
そこで、旅の男は、その家の主に、目に見たとおりのことを、詳しく話して聞かせ、ついでに「鷲の食い残しとはおかしなことを聞きましたが、どういうわけで、この子のことを、そんなふうに呼ぶのですか?」と聞いてみた。
するとこの家の主が「もう昔のことですが、これこれの年の、これこれの月の、これこれの日に、わたしが鷲の子を取ろうと思って、樹に登ったところ、一羽の鷲が飛んできて巣に何かを落としました。すると赤んぼの鳴く声が、けたたましく起こったので、巣の中をのぞいてみたところ、なんと人間の赤んぼが泣いているではありませんか。
そこで大事に樹から下ろして、今日まで養い育てているのですが、この話を里の子どもらまでが聞き知って、何かと言ってはこの子をばかにして困ります」と答えた。
宿を借りた旅の男はこれを聞き、自分が昔、赤んぼを鷲にさらわれたことを思い出し、思いめぐらしてみると、この主が「これこれの年の、これこれの月の、これこれの日」というのが但馬の国で鷲にさらわれた年月日にぴたりと合うので、わが子かと思い「さて、その子の親だという者のことを聞いたことがありますか」と尋ねてみた。すると主は「その後まったくそういう話も聞きません」と答えた。
そこで宿を借りた旅の男は「実はそのことでございますが、あなたのお話を聞いて、思い当たる節がございます」と言って、昔、鷲に子をさらわれたことを話し「これはわたしの子に違いありません」と言うと、主はたいそう驚き、女の子と旅の男を比べると、全く瓜二つというほどに、この子の顔立ちが旅の男にそっくりだった。
そこで、これは、本当の話だと分かったものだから、たいそう主は同情した。旅の男も縁あってここに来たのだと言い続けて、男泣きに泣いた。主のほうも、親子の縁というのは深いものだと感嘆して、女の子を、この旅の男の連れていくにまかせた。
しかし、主は「わたしも長い間この子を可愛がって育ててきたのだから、実の親といってもいいくらいの気持ちです。ですから、二人が、この子の親となって育てるべきです」と言いだして旅の男に約束させた。
その結果この娘は、但馬にも行き、丹後にも住んで、二人の親を持つことになった。
なんと、ありそうもない不思議な話ではないか。鷲がたちどころに食い殺してしまいそうなものを、生きたまま巣に落としたというのは、まことに不思議なことである、これも前世からの宿報というものだろう。親子の縁とはこのように深いものだ、という話である。
(巻26第01話)