今は昔のこと、大江貞基朝臣(おおえのさだもとのあそん)が、三河守(みかわのかみ)をつとめていたころ、世の中が飢饉になって食料がまったくなく人々が困窮した。



外には、五月雨が降り続いて、うっとうしい京の町を、ひとりの女が、定基朝臣の屋敷に鏡を売りに来た。中に通して持参の品を見ると、大きさ五寸ばかりの漆塗りの張箱に、金の蒔絵(まきえ)をほどこしたものを、匂いを焚きこめた陸奥紙 (みちのくがみ、男女を引き合わせる艶書に用いられたところから、ひきあわせ紙とも呼ばれる) に包んである。

開いてみれば、箱の中には、鏡のほかに、薄い鳥の子紙を引き破ったものに、美しい筆跡で、次のような和歌が書かれてあった。

けふまでとみるに涙のます鏡
なれぬる影を人にかたるな

(この手慣れた鏡を持つのも、今日までだと思えば、いっそう涙がこぼれてしかたがない。鏡よ、日ごろ見慣れたわたしの姿を、このさき人に語らないでおくれ)

定基朝臣は、これを見て、ちょうど、出家の思いのきざしているところだったので、涙に掻き暮れた。

そこで、鏡を売りに来た女に、鏡をそのまま返してやり、次いで、米十石を車に入れて、その女に贈った。歌の返しも鏡の箱に入れたが、その歌は今には伝わらない。きっと、心のこもった返し歌であったろう。

車を引いて送っていった雑色(ぞうしき、良民の最下位の身分)が、戻ってきて言うには「五条の油小路あたりの、荒れ果てた檜皮葺(ひわだぶき)の家に、送りとどけて参りました」と言う。この雑色も下人ながら心ある者で、はっきり誰の家とは告げなかったのであろう、という話である。

(巻24第48話)