わたしは

わたしはかわいそうな人間である。
病気で全てがままならない。

そのメッセージを受けたまま、親元で育ったせいか、気持ちのありのままを両親に伝えることはできない。
いえ、むしろ、伝えないことが当たり前だという環境になっていました。

だから、自分のことは自分でやる。
それが当たり前になっていました。

そのわたしは結婚し、子供を授かるまで欠落していた感情は肉親への深い情です。
それまでは、お母さんお父さんに深い感謝を述べる友人や本や世間の気持ちがまったくというほどわかりませんでした。
感謝。感謝というのは愛情を与えられた人が感じる尊い思いなのでしょう。
わたしの中での両親への思いは恨み、嫌悪、何故?、血縁でいる後悔、ひとことで表現するなら、早くこの世から消えて欲しい。存在することが不幸。その思いでいっぱいでした。
今もその気持ちはかわりません。
祖母の葬式や病床を見て苦しむ姿を見ても、わたしの胸にはなんの感情も湧かず、葬式でも涙の一粒も流れませんでした。
父は涙を流してましたが、少なからず愛された記憶があるのでしょうか?

多分、今もわたしは両親が死んでも涙の一粒も流れないでしょう。

小学校の時、卒業式で両親への感謝を作文にしましょうと言われ、酷く戸惑いました。

どんなにひねり出そうとしても、わたしの中には感謝する出来事がでてこずに、逆に恨み言ならば何ページでも書けそうな心境になりました。
その時に、恨み言を作文にしたら、だれか大人が救ってくれたかもしれません。
しかしながら、その頃のわたしは、それを誰かに知られること自体を恐れて、幸せな家庭で育っているふりをしなければならないという恐怖感を感じていました。

わたしが世間から受け入れてもらうためには、異端な家族の一員であることは絶対に他人には知られてはいけないのです。

母が父が、世間から見ておかしい人物であること、家庭が世間の常識からズレたところに存在していることが知られれば、わたしは異端な家族として、小さな世界から異端者として扱われてしまう。そう心の底から思っていました。
その気持ちは今も続いています。