読み書きそろばんができない毒母は
子どもにも羞恥心がある
子どもにも自尊心がある
子どもにもプライドはある
なんて微塵も思っちゃいませんでした。
彼女が
最初に羞恥心を感じ
記憶しているのは
幼稚園に通い始めた頃のこと。
埃まみれの足で家に入ることを嫌がり
幼稚園バスから降りると
玄関先の洗い場で
やおら素っ裸にされて
足をジャバジャバと洗い流されました。
パンツまで下ろされて・・・・
そこへ異性の同級生が
母親に連れられて現れて
彼女は本当にはずかしく
大事なところを隠したかったし
奥に逃げて行きたかった。
でもできなかった。
なぜなら
以前
裸を見られることが
恥ずかしいと伝えた時に
毒親にこう言いはなたれた言葉があるからです。
それは
「子どものくせに
何が恥ずかしいの!?
いやらしい子だね!この子は!」
彼女の親は
はなっから
子どもに人格があるなんて
少しも思ってもいない
クソな人間だったんです。
当時の彼女の家には風呂がなかったので
銭湯に通っていましたから
銭湯で同級生の男の子と遭遇することもありました。
なので
いつもと何が違う??
平気だろう??
という
認識もあるのでしょうね。
もちろん
彼女は銭湯でも
恥ずかしいなぁ・・・と感じていたそうです。
しかしその恥じらう素振りを見た
彼女の
毒母は
「この子は何!?
子どものくせに
恥ずかしいだなんて!
なんてませたいやらしい子なの!」
と。
それも
憎々しげに
汚いものでも見るかのように
言い放ったのだそうです。
なので
自分が
おかしな子
母親の期待を裏切る
ませたいやらしい子だといわれるのが嫌で
平気なふりをして
大事なところを隠すこともできず
ただ「ぼーっ」と立っているしかなかった・・・
「裸なんて平気」な
ふりをするしかなかった
・・と言っていました。
銭湯
ならまだしも
玄関先で同級生に裸を見られたまま
立ち尽くす時間は
消えてしまいたくなるほど
屈辱的な時間だったと
彼女は言っています。
子どもにだって
羞恥心はあります。
ませてるわけでも
いやらしいわけでもなく
普通にあります。
なのに
それを
性に貪欲で汚れた人間かのように
言われ
軽蔑の眼差しを向けられた時
違和感があったけれど・・・
母親を責めることもなく
自分の「恥ずかしい」を
封じ込めることになった過去
彼女が子育てをするようになって
「あの親ありあえない」
と初めて思ったのだそうです。
そして
さらに衝撃的な
忘れることができない
”失敗なすりつけ”
事件が起きるのです