母は、常に不機嫌でヒステリックな人だった。

私が小学校高学年になる頃、母は離婚した。


思えば母は、家庭運のない人だった。

戦中、祖母が盲腸で他界した。

母は、小学生だった。

戦後、島の大地主の行かず後家を嫁にという話が祖父へ来た。

断れる訳がない。

島民の殆どが、この大地主の恩恵を受けていた。

祖父も例外ではなかった。


新婚なのだからと、2.3年は二人で過ごしたいという大地主の娘である継母に逆らえなかった祖父。

疎開児童と言うなの奴隷を失った大地主宅も、新たな奴隷代わり丁度いいと思ったのだろう。

孫のように可愛がるから心配するなと祖父に言い、奉公に出された。


そこは、地獄だったと母は言う。


そのうち継母が妊娠出産し、今度は乳母が必要になり呼び戻された。


逃げるように都会へ出て、温かい家庭を作ることが夢になった。


それなのに、父のような女にだらしの無い男を選んでしまった。


父には常に女の影があった。


店が終わる少し前になると、ふらっといなくなり朝まで帰らなかった。

店ではオシドリ夫婦、実際は帰って来ない旦那を待つ惨めな女。


その理想と現実を受け入れられないのであろう母の、ストレスの捌け口は主に私だった。


ゆーちゃんは、母の不機嫌など気にするような人ではなかった。

小学校高学年には、既に素行が悪く母とも殴り合いの喧嘩をするのが当たり前な人だった。


私が小学校へ上がり、朝が早くなった。

睡魔で苛立つ母の作るいい加減な朝食を、愚図、のろま、いい加減にしろ!といった怒号を聞きながら食べる。


2週間が経とうとする頃には、このいい加減な朝食は必要ないと感じるようになり、ある日の夜母に「もう慣れたので、明日からは起きてくれなくていい」と伝えた。


あれだけ温かい家庭に憧れを抱いていた母は、あっさりこの提案を飲んだ。