こんにちは

 

最近は少なくなりましたが、戦前の新聞には怪異に関する記事がたくさんありました。民俗学者の湯本豪一氏が編集した『怪異妖怪記事資料集成』四巻(国書刊行会)が決定版とでもいうべき大著なので、そこから拾ったものをご紹介します。なお、読みやすくするため、意訳したものになります。

 

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容色美しい女の幽霊が飴買い

          大正11年8月24日 / 伊勢新聞

 

 桑名の清水町にある袖野山浄土寺内にある延命院地蔵尊では毎年八月二十三、四の両日地蔵会式を催し両夜共に参詣人で大賑わいを見るがこの会式に露店で幽霊飴というのが売り出されるが、これについて世にも珍しい伝説がある。
 今から二、三百年前のこと桑名町三崎通りに飴忠という飴屋があった。この飴屋に毎夜四つの刻(今の十時過ぎ)になると三十歳前後の容色美しい一人の婦人がきて「夜更けにはなはだ恐縮で御座いますが、飴をお分けくださいませ」と言っては一文、二文の飴を買って帰っていく。ところが最初受け取るときは確かに天下通用の立派な銭であるのが、後で見ると必ず木の葉に代わっているので、不審に思いある夜密かにそのあとをつけていってみると、前記浄土寺の墓地の中に入っていくので、ますます不思議に思っているといつの間にか消えてしまう。翌晩もまた前夜と同様の有様なので寺の住職に話して調べたところ、一か月ばかり前に臨月の妊婦が急病で死んで葬られた事実があったので、あるいはそれではなかろうかということであった。翌日、その墓所を掘りかえしてみると意外にも生後二十日ばかりの女の子が丸々と太って育っているので大いに驚き助け出し慈善家の手によって養育され、幸い虫気ひとつなく成人したと伝えられ、それが原因で噂となり飴忠の店は非常に繁盛してここ数年前まで、立派に続いていた。

 幽霊が育てた娘はその後赤須賀村の某家に嫁ぎ魚の行商を行っていたが、八十幾歳の長寿を保って死亡した。それから毎年延命地蔵の会式には地蔵尊と子どもの伝説にちなんで幽霊飴が売り出しを見るに至ったわけである。
 

▲安田米斎画『子育て幽霊図』   ※Wikipediaよりお借りしました


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「日本の『飴を買う女』の怪談は、南宋(12-13世紀の中国南部)の洪邁が編纂した『夷堅志』に載る怪談『餅を買う女』と内容が酷似しており、もともとは中国の怪談の翻案であったと考えられる。」(Wikipedia「子育て幽霊」)この記述の通り、全国に複数、同様の話があります。
 福島県南会津郡檜枝岐村の話は少し違います。鳴滝へつりというところにオボが出た。この左側におぼ桂というかつらの木がある。オボとは、難産で赤ん坊を生めないまま死んだ妊婦が墓のなかで赤ん坊を生み、その死霊が育てた赤ん坊のことを言う。死霊は赤ん坊を抱いてあめ屋に駄菓子を買いに行ったり、通りがかりの人に抱いてくれと頼むことがある。それで懐妊した女は身二つにして葬るもの、それができないときにはわら人形でオボをつくって一緒に葬るもの、夜道で会った婦人に赤ん坊を抱いてくれと頼まれたら必ず向こうをむけて抱くものだという。(「怪異・妖怪伝承データベース」より)

 オボはいわゆる水子と思いますが、赤ん坊代わりの人形も意味するところが興味深いです。鳴滝へつりという所に出たのは泣く子なのでしょうか、はたまた人形みたいなものなのでしょうか。ちなみに「へつり」はこの地方の方言で「断崖」のことです。

 

注1. 伊勢新聞

1878年(明治11)創刊。1942年に三重新聞などを吸収合併し、現在に至る。

注2. 桑名の清水町  

桑名城の北西にある町です。
注3. 袖野山浄土寺  

清水町内にあり、桑名藩本多家の菩提寺で、初代藩主本多忠勝の墓があります。

▲三重県桑名市浄土寺の本多忠勝本廟 ※Wikipediaよりお借りしました


注4. 幽霊飴  

全国に子育て飴の話があります。→下記参照
注5. 桑名町三崎通  

北魚町の西にあり、東西の長さ一七〇間の町屋敷地。西端に三崎御門があり、門外は美濃街道となる。三崎は桑名が三つの洲崎から成立っていることからの名称で、桑名の旧称であり、その名残を当町に名付けたと思われます。清水町のすぐ南になります。
注6. 虫気ひとつなく 

「虫気」は子どもが寄生虫などによって腹痛・ひきつけ・かんしゃくなどを起こすことなので、そういったこともなくという意味です。
注7. 赤須賀村  

かつて三重県桑名郡にあった村。現在の桑名市赤須賀などにあたります。

◆⬜︎◆全国の「幽霊飴」◆⬜︎◆

調べた範囲です。もっとあるかもしれません。

 

1)京都市東山区
<六道の辻> みなとや幽霊子育飴本舗(京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町80番地の1)現在も飴を販売しています。こちらの子どもは男の子で、後に高僧となります。「六道」とは、で地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六種の冥界のことです。「六道の辻」は、六道の分岐点で、あの世とこの世の境と信じられ、冥界への入口と言われてきました。六道珍皇寺門前の松原通にある丁字路に六道の辻の石標が建てられています。平安京の葬送地として制定された鳥辺野へ至る道筋で、この地で「野辺の送り」(のべのおくり)がされていたのです。
<上京区一番町> 立本寺にも同様の話があります。


2)福島県伊達市 <岩代国掛田(かけだ)> 伊達市霊山町
  四十九日に見つかったことで、後に武士となった子どもは伊達の殿様から四十九院(つるしいん)という名字を授かり、現在も子孫がいらっしゃる。また、お墓は「田元の地蔵」として、今もお祭りがあると言います。(福島県教育委員会)


3)金沢市
<あめや坂> 店名不詳 金沢市森山2丁目 光覚寺にあめかい地蔵尊があります。
光覚寺の墓より飴を買いし幽霊がいました。子どもは名僧になりました。(金沢市の坂より)
 

4)長崎市
ゆうれい坂 光源寺(長崎市伊良林1丁目4−4)に産女(うぐめ)の像があり、毎年8月に開帳されます。幽霊がお礼としておしえた場所に水がわき、井戸があった話も伝わります。
 

5)茨城県常陸太田市
だんご屋 十王坂 「山吹の里」と呼ばれていたこの坂あたりのだんご屋に、幽霊がだんごを買いに来たという話です。。成長してお坊さんになるのは共通しています。
 

6)沖縄県那覇市
七つ墓 ナナチバーカー 沖縄県那覇市牧志1-4-8 付近
 飴買い幽霊伝説があります。岩山近くのお店にお菓子を買う女性がたびたび現れたのですが、置いていくお金が翌日にはカビジンという紙銭に変わるので、不思議に思った店の主人が、女性の後をつけていくと・・後は同様の話です。
 

7)大阪市天王寺区および堺区
話は同様ですが、墓を掘ると赤ん坊は死骸で見つかった(「怪異・妖怪伝承データベース」)。

 堺区の櫛笥寺にまつわる話では、女が訪ねてくるのは同じで、7日目の晩に「もうお金がないので、これで飴を売ってほしい」と女物の羽織を差し出し、主人は気の毒に思ったので、羽織と引き換えに飴を渡した。すると翌日、女が置いていった羽織を店先に干しておいたのを見た通りがかりのお大尽が、「この羽織は先日亡くなった自分の娘の棺桶に入れたものだが、どこで手に入れたのか」と聞く。主人は女が飴を買いにきたいきさつを話したという話があります。墓にいた子は生きており、櫛笥寺の日審上人となりました。京都市上京区の立本寺も日審上人の話であり、同一人物です。
 

下記の地にも類似の話があります。
8)   香川県綾歌郡綾川町 
9)   青森県三戸市五戸町
10)兵庫県丹波市柏原町
11)岩手県奥州市水沢区黒石町 

12)愛媛県松山市
13)福岡市中央区天神(安國寺内に墓があります)

■参考サイト
みなとや幽霊子育飴本舗
https://kosodateame.com/ame/?page_id=75

 

▲みなとや ホームページからお借りしました

 

●参考文献

湯本豪一編

『明治期怪異妖怪記事資料集成』2009年・国書刊行会

『大正期怪異妖怪記事資料集成』2014年・国書刊行会