こんにちは

 

最近は少なくなりましたが、戦前の新聞には怪異に関する記事がたくさんありました。民俗学者の湯本豪一氏が編集した『怪異妖怪記事資料集成』四巻(国書刊行会)が決定版とでもいうべき大著なので、そこから拾ったものをご紹介します。なお、読みやすくするため、意訳したものになります。

 

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眼だけ生きた女髑髏の怪

   大正11年12月26日 / 満州日日新聞

 

 山東の歴城の東端に無住の寺がある。建てた時代も判らぬほどの古寺で以前は僧もいたが久しく凶歳が続き修繕する有志家もいなかったので屋根瓦は落ち、床は腐り、雑草が茫々と生い茂り昼でもものすごい寺であった。二、三か月前から夜になると時々悲しげな女の泣き声が聞こえる。それは明け方まで続いて不気味なことといったら話にならないので、夜になると付近を通る者はいなくなった。泣き声だけなら問題なかったのだが、声がした晩には村で必ず子どもか若い女が病気になって死ぬのである。
 初めは村人たちも調べにいったが、怪しいものはみつからないので、そのままにしていた。しかし泣き声で死ぬ者が出るので、村人は寺をつぶして怪物を退治することにした。各戸から一名出し、寺を壊し石畳をあげ、地下を調べてみると本堂の下に石櫃があった。恐る恐るその蓋を開けると髑髏がひとつ横たわっていた。どうやら骨格から女らしいとわかった。骨には青い毛が密生していて、驚いたことに眼窩から怪しい光を発し、よく見ると目玉だけが生きている。村人たちは薪を集めて焼き捨てることにした。火をつけると髑髏は例の不気味な声でうなりだしたので、囲んで見ていた村人は八方に逃げ出した。声がやんだので戻ってみると髑髏は燃え切って灰になっていた。その後は死ぬ者もなくなり、村人たちは胸をなでおろしているという。

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 済南はロンシャン文化が栄えた地で、紀元前3000年前からの歴史があります。ロンシャン文化(龍山文化)は河南と陝西エリアと山東エリアの二つに分けることができます。日本の「大陸進出」においては商業、軍事、居留民街などの拠点にもなりました。

 古今東西、荒れ果てた寺(城)に怪異が起こるのはよく聞く話です。この女髑髏の正体が何かはわかりませんが、何らかの形で封じ込められた悪鬼なのでしょう。あるいは贄として捧げられたかわいそうな女性かもしれません。恨みは強く、近くの集落に災いをもたらすエネルギーを持ったかもしれません。呪詛は念を増幅する最大の効果が図られていますので。ただ疑問が残るのは焼いたら終わったということです。呪詛なら拙い出来です。強ければその後も村に祟りがあると思うからです。やはり、悪鬼だったのではないでしょうか。

 

▲山東省の位置  ※Wikipediaよりお借りしました

 

注1.    満州日日新聞  

旧満洲で発行されていた日本語新聞(日刊紙)。1907年11月3日創刊。なお、1927年11月から1935年8月までと1944年5月から廃刊の1945年までの名称は満洲日報(まんしゅうにっぽう)でした。
注2.    山東  

中国の地方名です。山東とは太行山脈の東方の意。北には渤海、東には黄海があり、黄河の下流に位置します。現在は山東省があり、省都は済南市。他に青島市などの主要都市があります。
注3.    歴城  

中国山東省済南市に位置する市轄区です。前漢の景帝4年(前153年)に歴城県が設置されました。済南は龍山文化が栄えていた故地に含まれます。
注4.    凶歳  

農作物が不作の年。凶年のことです。
注5.    髑髏  

風雨にさらされて肉が落ち、むきだしになった頭蓋骨のことです。されこうべ。ここでは全身骨格が残っている書き方です。
 

▲ 歌川国芳『相馬の古内裏』(1845年 - 1846年頃)

※Wikipediaよりお借りしました

 

●参考文献

湯本豪一編

『明治期怪異妖怪記事資料集成』2009年・国書刊行会

『大正期怪異妖怪記事資料集成』2014年・国書刊行会