こんにちは

 

最近は少なくなりましたが、戦前の新聞には怪異に関する記事がたくさんありました。民俗学者の湯本豪一氏が編集した『怪異妖怪記事資料集成』四巻(国書刊行会)が決定版とでもいうべき大著なので、そこから拾ったものをご紹介します。なお、読みやすくするため、意訳したものになります。

 

◇       ◇       ◇       ◇       ◇

脇浜鉄橋へ男と女の幽霊が出る

  大正11年5月19日 / 神戸新聞

 

  灘駅から分岐して神戸港へ通じている海陸連絡鉄道の小野浜線は、脇の浜を北から南へ縦貫して新生田川に沿って港湾へ延び今では沿線一帯にわたり人家も密に建っているがこの線路が敷設されていない頃は荒れ野原で河口付近は子供の遊び場で水泳も盛んにおこなわれていた。河口に堆積している土砂に一歩踏み込むと、波と一緒に巻き込まれ水中深くで溺死する者が非常に多く、人々から「龍神の窟」と呼ばれ溺死のある度に「また龍神に人身御供が上った」と言い、ついに子供は河口に近づかないようにした。小野浜線が開通し水泳はできなくなり、龍神の窟は人々の記憶から消え去ったが、今度は付近の線路で男女の心中や失恋自殺が何度も繰り返されるので、人々は恐れ、おののいている。

 去る十七日夜九時ごろ、脇の浜派出所の山本巡査が沿線を警らしていると、物におびえたようにみえる三人連れの女性が線路を眺め幽霊の噂をしていた。問いただすと去る三月ごろから毎夜八時から十時まで頃まで脇浜鉄橋以南の線路に男女二人の姿が現われ、闇夜でもありありと浮かび出て、南へ向かい煙の如く消え失せる。それを見に来たという。この話はこの一帯に広がり、おそらく轢死者の霊だろうなどと喧伝されている。付近の若者が実地を見届けると騒いでおり、山本巡査は取り締まる方法の指示を葺合署に相談しているとのこと。

◇       ◇       ◇       ◇       ◇

 

 現代でも心霊スポットに行く若者は後を絶ちませんが、暴走族と出くわしトラブルになったりします。廃墟になっていれば、ケガなどの危険もあるため、おすすめはできません。この記事は元々「龍神の窟」と言われる死亡事故多発地があったことと、無くなった後の新たな問題が書かれています。海の怪から鉄道の怪に入れ替わったとでも言いましょうか。結末がどうなったか、残念ですが続報はないようです。 

 

▲神戸臨港線の廃線跡の鉄橋が遊歩道に使われている。 撮影:クハ681-201氏 

※Wikipediaよりお借りしました

 

注1.   神戸新聞  

1898年に創刊。現在の発行部数は朝刊約40万部です。
注2.灘駅

1917年に開設された国鉄東海道本線の駅です。
注3.脇浜

「脇浜(わきのはま)」という地名の由来は敏馬神社(式内社:みぬめじんじゃ)のある敏馬浦・敏馬崎の脇の浜によります。
注4.小野浜線

明治40年(1907年)、神戸臨港線が開通、この貨物線はかつて神戸港や神戸製鋼所を結び港町神戸の発展に貢献しました。平成15年(2003年)12月1日をもって廃線となっています。
注5.新生田川

神戸市灘区・北区・中央区を流れる河川です。生田川は明治4年に外国人居留地の安全のため、川の流れを変える付け替え工事が行われ、新生田川と呼ばれました。旧来の川の流れのところは、現在フラワーロードになっています。
注6.脇の浜派出所

現在の派出所は中央区脇浜海岸通3-2-5 名称は「HAT交番」です。
注7.葺合署

ふきあいけいさつしょ 中央区吾妻通5-1-2 葺合区は生田区と合併し、中央区となりましたが、葺合と生田の警察署は存続しています。
 

▲葺合警察署  撮影:Bakkai氏      ※Wikipediaよりお借りしました

 

●参考文献

湯本豪一編

『明治期怪異妖怪記事資料集成』2009年・国書刊行会

『大正期怪異妖怪記事資料集成』2014年・国書刊行会