こんにちは

 

最近は少なくなりましたが、戦前の新聞には怪異に関する記事がたくさんありました。民俗学者の湯本豪一氏が編集した『怪異妖怪記事資料集成』四巻(国書刊行会)が決定版とでもいうべき大著なので、そこから拾ったものをご紹介します。なお、読みやすくするため、意訳したものになります。

 

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怪談の会と人(四)

  大正8年7月8日 / 都新聞

 

 怪談の代表者のような鹿塩秋菊君は、先年から鎌倉の円覚寺山房に籠ってしきりに観音経の写経と参禅に身をゆだねているが、この記事を見ると怪談の近況を知らせに来た。数日前、円覚寺の中のある寺で、やったということらしい。ただ秋菊君は近来観音経を手写しするようになって以来、始終身近につきまとっていた幽霊が全く影を隠してしまって、さびしくなって困っているとのことだ。観音経の功徳が幽霊を追い払ったのかもしれないと言っている。秋菊君が言うには、昔から伝わっている怪談で「甲州の小松屋怪談」というものがある。こればかりは絶対に話せないもので、もし怪談会でそれを話すと祟りがたちまちとびこんで怖い目にあう。よくよく執念深いお化けのようだ。怪談会の保護者というべき河瀬君は静岡民友新聞の人となっている。そして相変わらず怪談会を催している。静岡で一度、浜松で一度、沼津で一度、わずか1年間で三回も開いたそうだ。静岡はみどり庵、浜松は玄忠寺、沼津もお寺で、大評判大盛況だったそうだ。
 怪談会の趣向をこらしたものにはつくりもので脅すものもあれば、物語りを主として趣向は雑とするものもある。この記事がご縁で、このお盆の十六日に怪談会を催そうかという話がもたれている。今のところ、会場を向島百花園の喜多屋茶荘にすること、夜の十時から始めて徹夜で行うことが決まっている。

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▲円覚寺の図(新編鎌倉誌)1670年頃  ※Wikipediaよりお借りしました

 

 鹿塩秋菊は深川三十三間堂の堂守の一族の出だそうです。深川三十三間堂は京都の蓮華王院を模して富岡八幡宮の境内につくられ(再建)、明治5年に廃仏のため破却されました。彼は円覚寺に逗留し、怪談会をやったそうですが、ずいぶんおおらかな時代ですね。観音経の功徳で幽霊が近づかない話、現代でも心霊スポットにお守りを持っていくなという方がいるのを思い出しました。「甲州の小松屋怪談」は詳細がわかりません。忌み話であれば、知らない方がいいのかもしれません。

 この拙稿を書く前、向島百花園に行ってきました。東向島駅から歩いて10分弱、紫陽花がまだ咲いています。武家屋敷跡地を骨董商の佐原鞠塢(さはらきくう)が買収し、交友のあった文人墨客の協力を得て、造園されました。戦災や自然災害などを乗り越え、東京都へ寄贈され現在に至ります。

 

▲園内の池越しにスカイツリー  ※どこ山撮影

 

「納涼怪談会」は大正8年(1919)7月19日に「喜多野屋茶荘」にて160余名で開催されたそうです。この場所はどこかということですが、東雅夫『江戸東京怪談文学散歩』によると現在の児童遊園あたりということになります。喜多野屋茶荘の絵葉書も掲載されております。一方、百花園の歩みを見ると、大正4年(1915)佐原家は諸事情により小倉家に土地建物を売却し、同年に料亭「千歳」と「桑木茶屋」の建設がはじまっています。場所も児童遊園地なので、4年間のあいだに名前が変わったのでしょうか。そこは現段階では不明です。

 

▲百花園内の児童遊園 ここに料亭と茶屋があったそうです  ※どこ山撮影

 

この地自体も怪異が伝わります。元々は多賀という旗本の屋敷地でした。多賀家の三代目がこの地で処刑されたとか、四代目が刃傷沙汰で死んだとか、怖い話があり、鞠塢が購入するまでの90年近く空き家だったそうです。園内には多賀神社という小さな祠があり、それは多賀家の怨念を鎮めるためのものだというわけです。

 

▲多賀神社の祠 鎮魂のためとは・・・  ※どこ山撮影

 

注1.    鹿塩秋菊君 かしおしゅうぎく

本名蕉吉、深川三十三間堂管理者の一族出身。川尻清譚の弟に当り、雑誌 「歌舞伎新報」を復刊しました。清譚は歌舞伎研究家です。
注2. 円覚寺山房  

臨済宗大本山円覚寺派のお寺です。鎌倉市山ノ内409番地。現在も「観音経」の写経が行われています。
注3.「甲州の小松屋怪談」 

大変興味深いですが、詳細はわかりません。語ってはいけない忌み話があったことがわかります。
注4. 河瀬君  

河瀬蘇北。出生地、生没年不詳。本名龍雄。大正から昭和の初めにかけて十数冊の著書があるそうです。『日本反動思想史』『日本労農二千年史』『現代之人物観無遠慮に申上候』。一番得意なのは中国論で、『満州及支那辭典』は近年復刻されているようです。
注5. 静岡民友新聞 

明治24 - 昭和16年 「静岡新報」とともに静岡の二大新聞でした。1941年に新聞の大合同で「静岡新聞」となりました。
注6. みどり庵  

詳細は不明です。現在、静岡市内に美登利庵がありますが、合致するか不明です。
注7. 玄忠寺 

浄土宗のお寺です。住所は浜松市中区田町329-7です。

注8. 向島百花園  

現在は東向島三丁目にある都立庭園で、江戸時代に発祥をもつ花園です。みどころは早春の梅と秋の萩が知られています。文化年間初頭、佐原鞠塢(さはらきくう)が多くの文人の協力をえて、梅屋敷を構えたのがはじまりとされます。花の種類は増え、いつしか「百花園」と呼ばれるようになりました。公立公園になり、東京大空襲で壊滅的打撃を受けますが、昭和24年に復旧・開園しています。
注9. 喜多屋茶荘

喜多野屋茶荘?上記で述べたとおりで、名称が違ったりしますが、そこは調査課題です。怪談会に参加した松崎天民の記述が残っています。

 

◆向島百花園のご案内

時間:9時~17時(入園は16:30まで) 休園:12/29~1/3

お問合せ:03-3611-8705  入場料:一般150円 など

最寄り駅:東武スカイツリーライン「東向島」駅8分 都バス「百花園前」3分
ホームページ: 東京都公園協会「向島百花園」

 

蚊の対策が必要です。ご注意ください。

 

●参考文献

東雅夫『江戸東京怪談文学散歩』2008年・角川学芸出版

東京都公園協会『向島百花園』2010年

湯本豪一編

『明治期怪異妖怪記事資料集成』2009年・国書刊行会

『大正期怪異妖怪記事資料集成』2014年・国書刊行会