こんにちは

 

最近は少なくなりましたが、戦前の新聞には怪異に関する記事がたくさんありました。民俗学者の湯本豪一氏が編集した『怪異妖怪記事資料集成』四巻(国書刊行会)が決定版とでもいうべき大著なので、そこから拾ったものをご紹介します。なお、読みやすくするため、意訳したものになります。

 

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大正猫怪談

  大正6年3月27日 / 芸備日日新聞

 

 相撲の年寄荒汐は去る五月場所から心臓病と腎臓病を併発し、一時は医者も匙を投げる危篤状態となった。幸いにも容体を持ち直し、昨今ではほとんど全快した。これには奇々妙々たる怪談がある。それは医師に見放された時、妻がある人からすすめられて森ケ崎の行者の許へうかがいをたてにいくと、これはかつて猫を残酷に殺したことの祟りだという。
 家に帰り、荒汐に問いただすと今まで人には話さなかったが、先年大森で料理店を営んでいた時に毎晩、三毛猫が一匹やってきては生け簀の穴子を食うので、料理人としめし合わせて天秤棒で殴り殺した。猫は苦悶の形相すさまじくにらみつけていた。その恐ろしさは今思い出してもぞっとする、と一部始終を話した。そこで妻は行者のもとに飛んで行って、顛末を打ち明け、指図を受けた。自宅に猫の御霊を祀り三十七日間供養すると、重態だった荒汐が濡れ紙をはがすように快方に向かい、ついに全快した。相撲社会での不思議に一つ咄である。

 

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▲『八景坂鎧掛松』(歌川広重画)現在の大森駅近く  ※Wikipediaよりお借りしました
 
 動物を酷い扱いで殺すと祟られる話は多いので、いけないことだということは、私たちの生活の中でも知らず知らずのうちに認識されています。中でも恐ろしいのは蛇で、一家に七代祟るといった話があるわけです。新潟県の五泉市には「頭の重いとき、これは蛇の祟りだといって紙に蛇の絵を描いて鎮守の長床の壁に貼った。猫の祟りだといって猫を描いて貼る人もあった。」(怪異・妖怪伝承データベースより)といった話もあります。
 当時の大森は、海苔の名産地とともに、コハダ、赤貝、ハマグリ、羽田沖の穴子などが採れ、鮨や天ぷらで食べる本場でありました。副業として料理屋をやることはふつうにあったことなのでしょう。現在でも名店が大森にあるようです。
 
注1.    荒汐
大正6年当時は三代目荒汐です。現役時の四股名は谷ノ川(最高位前頭二枚目・桐山部屋)、1918年に亡くなりました。つまり、全快したとなっていますが、この記事の翌年に亡くなったようです。
注2.    森ケ崎
東京都大田区にあった地名で、現在の大森南にあたります。かつて海水浴場と鉱泉施設で賑わっていました。
注3.    大森
大森は大田区の北東部に位置するエリアです。東京が35区だった時は大森区として存在しました。海苔生産が盛んでしたが、大正期より工場が増え漁業は衰退していきました。現在の大田区は大森区と蒲田区が合併されたものであることが知られています。
注4.    三十七日間
「三七日(みなのか)」によるものだと思われます。三七日とは故人の死後から21日目に行う法要のことで、洒水忌とも言われます。初七日、二七日の次の21日目というわけです。最後の49日目の四十九日法要知られています。仏教では極楽浄土に行けるかについて3回目の審判を受ける日になります。
 

 

●参考文献 湯本豪一編『明治期怪異妖怪記事資料集成』2009年・国書刊行会

        同  『大正期怪異妖怪記事資料集成』2014年・国書刊行会

●国際日本文化研究センター「怪異・妖怪伝承データベース」