こんにちは

 

最近は少なくなりましたが、戦前の新聞には怪異に関する記事がたくさんありました。民俗学者の湯本豪一氏が編集した『怪異妖怪記事資料集成』四巻(国書刊行会)が決定版とでもいうべき大著なので、そこから拾ったものをご紹介します。なお、読みやすくするため、意訳したものになります。

 

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北京の怪談 米国兵営に幽霊

  大正4年10月25日 / 新世界

 

 北京城内公使館通りにある米国兵営に幽霊の噂がある。それは米国青年士官だという。談話者は謹直な米国公使ラインシュ氏であることは、この怪談に勿体をつけるのに有力だが、直接聞いた相手が北京政界の大立者、国務院秘書長陸軍中将~徐樹鋒であることも好奇心を満足させる。徐中将は年の若さに似合わぬ禿げ頭を撫でながら「全くもってこればかりは事実だそうだよ」と言い、新震日日報記者に語ったという。

 米国兵営内に駐在将校が宿舎とする一室があり、ここで義和団事件の際、ある青年士官が戦闘の末、敵弾に斃れた。以来、開かずの間といった風に春風秋雨、十七年間締め切りのままにしてきた。しかしこのままにしておくのは意味がないとして、昨年末から大胆をもって知られる老士官が使うことになった。ある日、夕食後に老士官が庭を歩きながら何気なく自室を見ると人影があった。窓越しに中を覗き込むと、色の青ざめた十七年前に戦死した殉難士官が、つかれきった顔つきで安楽椅子に座っている。これを見た老士官は腰を抜かさんばかりに驚き、近くにいた同僚たちに呼びかけたが、みなは神経のせいだと言って信用しない。それからは誰も幽霊は見なかったのである。

 一年後、新たに北京に赴任してきた壮年の士官がこの部屋に宿泊することになった。昼からの疲れで正体もなく寝込んでいたところ、真っ暗な寝室に忽然として真っ赤な光が輝くと、一本の白い光が地面から立ち昇り、そろそろと壁伝いに、そして煙突にそって光は流れ、やがて光の中に顔色が青い人の首玉が浮かび、上下しているのがはっきりと見えた。この士官はそれが誰かは知らなかったが、かの老士官が見た殉難青年士官だろうということで、兵営内ではこの話で持ち切りだという。

 

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▲当時の公使館通りとされる一枚  ※Wikipediaよりお借りしました
 
 義和団事件は「扶清滅洋」を叫ぶ義和拳教が山東省から蜂起し、各地の西洋人や宣教師を襲撃することからはじまりました。1900年、清朝を牛耳る西太后がこの叛乱を支持したため、諸外国との国家間戦争となり、北京の公使館関係者は東交民巷で攻囲戦を展開することになります。北京には清国軍と義和団が20万人を超える数が集結しているのに対し、各国公使館の護衛兵と義勇兵は481名にすぎず(Wikipedia)、8か国連合軍の北京占領までは約2か月かかり、その間に籠城、防衛しました。公使館側は20人近い方が亡くなっており、アメリカ人将校は特定できませんでしたが、その一人と思われます。
 映画『北京の55日』(アメリカ・1963年)はアメリカ兵の奮闘が事実より脚色されている作品です。若き伊丹十三が柴五郎中佐を演じているのを思い出しました。興味のある方はご覧になってはいかがでしょう。

▲八ヶ国連合軍の兵士を描いた図   ※Wikipediaよりお借りました

 
注1.    新世界  
サンフランシスコの日本語新聞の中でも古い歴史を誇っていました。当初、日本人キリスト教青年会(YMCA)の青年活動家が『新世界』(1894–1932)を発行、その後、新聞名は『新世界日日新聞』(1932–35)、『北米朝日新聞』との合流で『新世界朝日新聞』(1935–42)に変更されています。
注2.    北京場内公使館通り  
紫禁城内の正陽門内南東の東交民巷に外国公使館の集まるエリアがあった(天安門からも南東方向)。義和団事件当時は、真ん中の濠の西側にイギリス、ロシア、オランダの公使館、東側にオーストリア=ハンガリー、ベルギー、イタリア、フランス、日本、ドイツ、スペインの公使館がありました。日本の北側に粛親王の邸宅があり、日本兵はそこも守備していました。
注3.    米国兵営  
アメリカ公使館に隣接して海兵隊宿舎がありました。戦闘の有無や詳細は調査中です。
注4.    米国公使ラインシュ  
ポール・サミュエル・ラインシュ 1869~1923 学者でもあり、極東問題の権威でした。1913年よりウィルソン大統領の誘いで公使となり、1919年まで務めました。その後は北京政府の最高顧問として助言し、現地で没しています。日本に対しては批判的立場だったそうです。
注5.    国務院  
中華民国の政府機関。1912年より発足した政府の最高行政機関でした。
注6.    徐樹鋒  
詳細はわかりません、調査中です。
注7.    新震日日報  
詳細はわかりませんでした、調査中です。
注8.    春風秋雨  
長い年月のことを指します。広めたのは国語学者の金田一春彦氏といわれます。

 

●参考文献 湯本豪一編『明治期怪異妖怪記事資料集成』2009年・国書刊行会

        同  『大正期怪異妖怪記事資料集成』2014年・国書刊行会