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最近は少なくなりましたが、戦前の新聞には怪異に関する記事がたくさんありました。民俗学者の湯本豪一氏が編集した『怪異妖怪記事資料集成』四巻(国書刊行会)が決定版とでもいうべき大著なので、そこから拾ったものをご紹介します。なお、読みやすくするため、意訳したものになります。

 

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千歳座の幽霊會

明治45年2月5日 / 信濃毎日新聞

 社の中野夢彰が主催となって開催する。来る2月3日午後七時より 会費は25銭 30名定員 申し込み多数の場合、90名まで増やす。
 当日、食事はいらぬ場内に入るだけという人も押し寄せたので、おそらく200人を超えた。朝から降る雨で陰森とする。やがて霙になった。幽霊會なので灯りも少なく、線香も焚いて、舞台上には金の襖を並べてある。お供物はたった今切られたような血潮のついた人間の足、作り物ではあるがよくできている。吐しゃ物に蛆がわいた皿、真新しい卒塔婆も林立し、大きな木魚、叩き鐘も用意してある。
 開会の辞につづいて読経が普済寺、善松寺の僧によってはじまり、焼香、桐生主筆による「幽霊についての講話」、某会員の円朝怪談噺を経て本番が始まった。会員は舞台に一人一人上がって作り物の数々を見る。大提灯から片手が出ている。濡れた柳の枝が顔につく。頭から血を出した入道、とぐろを巻いた蛇、さらし首、骨をかじる犬、コンニャクが撒いてある。終わってから熱燗で一杯、折り詰め、竹の家のそばを食し、かれこれしているうちに午後十時になりたり。幽霊を演じたのは自由劇義団の面々であった。

●本日の幽霊會  大正3年3月15日 / 信濃毎日新聞

 一昨年の春、本社の中野夢彰氏主催となりて千歳座に開催したる幽霊會は、意匠奇抜なりしと地方ではこれまであまり開会したことがなかったために非常なる好評であった。そのため第二回はいよいよ今晩七時より開催する手はずである。前回より一層奇抜なる意匠をこらすものをつくり、来会者の肝を抜く由にて権堂及び市中の評判となっている。権堂の芸妓連の来会申込も多いと聞く。料理の都合もあるので、希望者は本日正午まで会費三十銭を添えて千歳座内の幽霊會へ申し込むべし


鏡花氏の出席
現代小説界の大家、泉鏡花氏も今晩の幽霊會に出席し会員と懇話会を催し、文学上に就いて同氏の座談あるはず也。長野市において小説家との懇話会は始めてなりという。
 

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▲大正期の長野市街  ※Wikipediaよりお借りしました

 

 明治から大正にかけて「怪談ブーム」があったことを実証するお話です。仕掛けは現代よりも“おとなしい”ものが多いですが、当時は効果的だったのでしょう。各地の新聞が主導的立場にあったことも特徴的です。第一次大戦後の好景気や大正デモクラシーにならんとした時代背景も手伝ったと思われます。昭和に入ると恐慌が起き、戦争の道へ進んでいきます。怪談どころではなくなっていきます。

 長野市の地方都市での娯楽は必ずしも多くはなく、斬新なイベントがもてはやされるのも当然だったかもしれません。権堂地区は繁華街であり、信州を代表する花街でもありました。芸妓連も沢山参集したに違いありません。人間は昔も今も怪談が好きなんですね。

 

▲泉鏡花氏   ※Wikipediaよりお借りしました

 

注1.    千歳座  

1892年(明治25年)に開場した芝居小屋「千歳座」が前身で、建物は増改築が重ねられているものの明治時代当時のものが今も使われています。当初は歌舞伎などが上演されていましたが、日本で最初に活動写真が上映された1897年(明治30年)には県内で初めて活動写真の上映が行われました。映画の時代の到来とともに、1919年(大正8年)に長野演芸館(現 長野映画興行)に買収されて「相生座」と名を改め、現在は「長野松竹相生座」「長野ロキシー1・2」となっています。
注2.    社の中野夢彰  

信濃毎日新聞社の関係者だと思われるが、詳細わからず。調査事項です。
注3.    普済寺  

現在も長野市鶴賀田町にある曹洞宗のお寺です。
注4.    善松寺  

現在も長野市妻科町にある曹洞宗のお寺です。
注5.    桐生主筆  

桐生悠々は信濃毎日新聞の主筆でした。主筆は新聞社・雑誌社などで、首席の記者として、社説・論説その他の重要記事の執筆にあたる人です。1933年(昭和8年)8月、東京市を中心とした関東一帯で第1回関東地方防空大演習が行われましたが、悠々は社説「関東防空大演習を嗤ふ(わらう)」を発表し、敵機の空襲があったならば木造家屋の多い東京は焦土化すること等、を指摘し批判しました。この言説は陸軍の怒りを買い、長野県の在郷軍人たちが『信濃毎日新聞』の不買運動を展開したため、悠々は同9月に再び信濃毎日の退社を強いられました。
注6.    円朝怪談噺  

三遊亭円朝は落語界の大名人であり、怪談は得意な噺の一つでした。代表的なものは『真景累ヶ淵』『牡丹燈籠』『怪談乳房榎』。落語中興の祖と呼ばれ、現在まで二代目円朝は生まれていません。号は「無舌」。「幽霊画」の蒐集でも有名で毎年谷中の全生庵で展示が行われるのが通例となっています。
注7.    竹の屋  

権堂駅近くに「竹屋そば店」がありますが、関連性はわかりません。
注8.    自由劇義団  

詳細不明。長野の地元の演劇集団と思われます。
注9.    権堂  

長野市内の繁華街。江戸時代から善光寺の参道に水茶屋が何軒かできたのがはじまりといわれ、遊女が240名ぐらいいたという話も残っています。昭和30年ごろが最盛期で商業地が駅よりになるなか、イトーヨーカ堂(現在は閉店)を誘致し盛り返したこともあるそうです。
注10.    泉鏡花と怪談会  

東京で鏡花がらみの「怪談会」が3回開いたことがわかっています(2回目は内容不詳)。地方で関与しているものもあり、この長野市の怪談会もその一つです。
 

●参考文献 湯本豪一編『明治期怪異妖怪記事資料集成』2009年・国書刊行会

        同  『大正期怪異妖怪記事資料集成』2014年・国書刊行会