こんにちは


小江戸−川越を見聞してきました。


▲川越というと時の鐘、ややパターン化してますが


川越には市立博物館もあるのですが、長期休館中です。隣接する市立美術館は空いていたので、拝見してきました。


▲川越市立美術館


川越といえば、橋本雅邦です。父が川越藩の御用絵師だった雅邦は後を継ぎます。江戸では絵師になることはイコール狩野派で学ぶことだったので、狩野雅信(勝川院)の指導を受け、塾頭に上りつめます。しかし時は幕末、明治維新で生計がたたなくなりました。海軍で図面関連の仕事をするなど、本業に専念できない状況が続きますが、救いの神となったのが、フェノロサらの復興運動でした。作画に取り組めるようになった雅邦は東京美術学校の創設にも関わります。同門の友人でありライバルだった狩野芳崖の夭折で、名作『悲母観音』の仕上げもしました。明治41年に亡くなるまで、日本近代美術の核として存在し続けたのです。


▲橋本雅邦 Wikipediaからお借りしました


雅邦の『林和靖・陶淵明図』が展示されています。迷うことなく筆で力強くスッーとひいた岩が見事です。


▲相原求一朗記念室は常設


相原は北海道の厳しい自然を見事に描いた画家です。戦争に応召され、満州やフィリピンで苦労されました。戦後、猪熊弦一郎に師事しますが、納得のいく作品がなかなか描けませんでした。そんな折、旅した北海道に魅せられ、画題とします。


相原の描く雪山の稜線は美しいです。何処かで見た雪山を思い出させてくれました。


タッチアートコーナーでは『高田純嗣展』が開催中。丸みの優しさを感じる作品が並んでいました。


▲ タッチアートコーナー   ここは撮影OK


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川越は町自体が博物館のようなものです。「蔵づくり」をうたってますが、一昔前のくらしの細かいところを見ることもできます。



▲丹徳庭園の建屋にお札がありました


かつて、家々には防火、盗難よけなどのお札が貼られていました。写真は三峰神社のものですが、オイヌサマの信仰がここにもあることがわかります。諸説ありますが、迫りくる猛火からヤマトタケル尊を守ったオオカミたちがいたという伝説があります。


▲川越歴史博物館 こちらも休館でした


▲川越城富士見櫓跡


川越城は太田道灌ゆかりの城で、築城時の縄張りは彼が行ったとされています。本丸御殿が残るほかは遺構はわかりにくいのですが、富士見櫓跡などがあります。


城内にある三芳野神社は童謡『通りゃんせ』の舞台と言われています。城内から出るのは容易ではなく、まさに“帰りはこわい”ところだったのです。解釈の分かれる歌詞を現地で考察するのも一興といえましょう。


▲川越城の堀の一つ「中ノ門堀」を再現したもの


▲堀の仕組みがよくわかります


食べ歩きも川越の魅力ですが、まあ人が多い。平日がよいかもしれません。


▲まことや オムソバにカレー


◼️市立美術館

「日本画の革新ー橋本雅邦から滝沢具幸までー」

「高田純嗣展」

ともに3月24日まで

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