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「墨東」とは墨田川(隅田川)の東側を指すものだが、地名ではない。現在の隅田川が武蔵国と下総国の国境であり、下総側が向島だという話を聞いたこともあるが、それは誤りらしい。当然ながら荒川は暴れ川だし、下流の流れも複数あって、浅草あたりも江戸時代の初めは、砂洲の状態になっていたという。現在の姿から詳細を知るのは難しい。

 

映画『墨東綺譚』は3回製作されているが、1992年に新藤兼人監督が撮ったものは永井荷風の後半生を描いたといってよいもので、興味深い内容だった。Amazonプライムで観られるようになっていたので、久しぶりに見返す機会を得た。

 

墨田ユキという新人女優が話題となったが、今は芸能活動から身を引いたようだ。津川雅彦演じる荷風とのやりとりが、往時の玉の井の情景を思い起こさせる。荷風はエロ写真を扱う男ということになっているのだが、戦前にはそんな商いもあったのだろうか。映画のなかでは、ユキのヌード撮影会に参加する3人の好々爺も登場している。

 

(DVDカバー)

 

老いた荷風が倒れるシーンは、レストラン「アリゾナキッチン」の出来事であることが知られている。残念ながら2016年10月に閉店したが、「チキンレバークレオール」が名物であった。荷風の通った浅草の名店は数多い。ビーフシチューのフジキッチン(2017年閉店)、洋食のリスボン、喫茶ハトヤ、喫茶峠(現在は浅草駒太夫のお店になっているらしい)、天丼の大黒屋、どぜうの飯田屋、そばの尾張屋、浅草今半、お肉の松喜(現在レストランは営業していない)。ちなみに、晩年を過ごした市川の大黒屋(閉店)では、カツ丼とお燗徳利1本が常だったという。

 

荷風は日記『断腸亭日乗』に事細かに綴っていたので、ある日のアリゾナについて「スープ八拾円シチユー壱百五拾円」などと残している。独り身であるからだが、ほぼ外食であり健啖家であった。さりとて、胃潰瘍で亡くなったことを考えれば、健康によい食事などは意識していなかったかもしれぬ。

 

玉の井は旧東京市向島区寺島町にあった。戦前から1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで存続した、いわゆる私娼窟である。当時は「銘酒屋」営業といって、客に酒食を提供するもので、もてなす女性と客は個人的に自由恋愛をするという典型的なシステムをとった。狭くてぬかるむ一帯に497軒(1933年:寺島警察所調べ)ひしめきあっていたようだ。荷風はその様子を「ラビラント」(迷宮)と呼んだ。東京大空襲でほぼ灰燼に帰し、戦後は銘酒屋からカフェーの形態に様変わりした。売春防止法施行により、娼家はなくなった。

 

最近の浅草は多くの方々の努力により、観光地として盛り返しているが、1970~1980年頃は翳りもあった。六区には古き良き時代の東京クラブ、常盤座の廃ビルも残っていた。映画館は成人映画ばかりで、若者も少なく、場外馬券場(のちのWINS浅草)辺りはそれらしいオッサンが沢山いたイメージである。花屋敷もトーゴ経営の頃で、おばちゃん園長をウリにしていた。永らく入園料をとっていなかったが、園内の風紀の乱れもあり、きれいな遊園地とは言えなかった。1985年風営法改正にともない、入園料もとるようになった。

 

荷風の愛した浅草は変貌しつつも、今も残る名店の味は、荷風の味、昭和の香りを思い出させてくれるものだ。