生きているとなにやら不思議な目にあうことがある。

昨日、いきなり頭の中に「フーコーの振り子」

という言葉が浮かんだ。

何やねんと思っていると、本日我が家の

お子さんがロープでタイヤを吊した振り子っぽい

遊具に顔面を激突していた。

なるほどね。

理屈っぽい人間には理屈っぽい第六感が働く

のかもしれない。こんな感じで宝くじが

大当たりする売り場にピンと来ればいいなあ。


あれ?なんかこれだけじゃない気が。

フーコーの振り子…

地球の自転の証明だっけ。

うーん、なんか、妙にもやもやするな。

君が代の歌詞は全体主義なんだそうだ。

その歌の解釈ってのは、その人間の経験と
観念をもとに解釈される。歌謡曲も聞く人に

よって、思い浮かべるシーンは変わるし。
君が代が全体主義だと言う人は、多分、

全体主義な観念の人なんだろう。


で。君が代を全体主義の逆ベクトルの言葉で

構成すると、どうなるか。


おれは個だ。
(君が代は)
目先一瞬
(千代に八千代に)
巌をバラして
(さざれいしの)
さざれいし
(巌となりて)
ペンペン草も生えるひまなし。
(苔のむすまで)

学級崩壊みたいになった。

国歌にならないというか、

なりようがないというか。

君が代ってのは、国民1人1人から生まれる

未来に続いていく血脈みたいにも、努力の痕跡にも

解釈できる。

「あなたの毎日が長く続いていく中で

かつてから置いてきた石が、やがては線となる。

面となる。苔がむすまで続いていく」

あ、ちょっとジョブスのスピーチっぽい。
会社を作る人、研究を続ける人、自分を磨く人。

国民主権だし、「君」の解釈次第なんだよね。

君が代ってのは、結構時代時代にあった解釈が

できる、本質的な話ができてるかも。

過去は学ぶためにある。

未来は目指すためにある。

夢は、叶う。

どんな未来も。

力を合わせることができるなら。

同じ夢を、ビジョンを見ることができるなら。

今日見た夢が、明日の自分に帰っていく。
私たちは、未来に帰っていっている。

強欲な魂を釈迦のように装っても、

魂に嘘はつけない。

人間には3つの感情しかない。

欲と愛と恐怖。

そのいずれにもとらわれないのが

遊び。

楽しさはすべてを超える。

仕事は遊び。それとも衣食住の金?

入り口は金のため。

入り口は遊びのため。

熟練は両者を統合する。

職場って、そんな場所。

ただし。

組織の中に、育てない、分けない、逃げる、

抱え込む、毒を吐く、圧迫する人がいたら、

自分が去るか、潰れて貰えばいい。

会社とは、コーポレートするためにある。
コーポレートできない人間が権限を持って
いるなら、その会社の経営者はその程度の
人間だ。

黒字なら、機をうかがい、赤字ならすてる。

それが選択の基準。

夢を共有できるか、金を共有できるか。

どちらもない会社は捨てて行こう。

失敗する会社はより大きな学びをくれる。
夢に向かう道のりの、マニュアルになる。
自らの夢を真ん中に、選んで捨てて前に行く。

人生は、死ぬまでの遊び場。
見下している人が、見下されていると、怒っていた。

コンプレックスと怒りを、力に変えてがんばっていた。

自分を信じる力って、元気だ。

元気に頑張るのはいいけど、元の気が毒を吐いていると、

毒が頑なに体に根を張って、体を壊していく。


がんばるっていうのは、頑張ると書くけれど、

かたくなを張るということでもある。

どうか、かたくなを張る人が転んだときには、

ゆったりと支えてあげてほしい。

そこで、元の気から毒が消えて、楽になる。

そこに、感謝して、楽になったあとの元気は、

曇りなく、矢のように速い。

そして、楽しむ力が人の輪を引き寄せる。

広がるときは、そういうものかもね。






自我、というものは正しいのか間違いか。

最近、そんなことを考えていたりします。

自我が完全に消失すると、生活が大変になるので、

リアルなこの世界と、どうやって折り合いをつけて

生きていこうか、なんてね。そんなことを考えます。

人間の感情の3元素である愛も欲も恐怖も、我なんだ、

なんてことを考えると、ちょっとどうしたらいいんだろうと。

遊びをせんとや生まれけむ、というのが生きる本質

だったりするのが、わたくしの本質的なベクトルなんですが、

私にとっての遊びとは、なんぞや、などと。

ものがたりでも、書こうか。ものかきだし。


さて。とりとめないですが、妙に悟ってしまうと

妙なことに気がついたり。

日本語というのはとてもよくできていて、同音語が実は

本質において同義であるということに気がついたり。

気付く、は築く。のもとであるな、ということとか。

我とは主語の「私が(我)」「私は(我)」だな、とか。

おっさんになると、駄洒落が増えるのは、万物を語る言葉

の音にこそ、その本質があるんだよってなことを

うっすら悟って、仏の座に座り始めているんだなと。

彼らがどっかアバウトなのは、我が消失しつつあるのかな、とか。


万物は流転するけれど、音の波動ってのは基本的に

同じ本質へと回帰するのかもね。


さあ。どんな物語を書けば楽しいかな。
久しぶりの更新です。

震災から1年。


なくなっていった人、失った中で心をなくしていった人。

ないと思っていたけど、本当はあった大切なものに気がついた人。

あると思っていたけれど、本当はないことに気がついてびっくりした人。

神も仏もないものかと思った人。神や仏に助けられた人。

ぐるぐるぐると、人の価値観がめまぐるしく動いた1年でした。



1年して。悲しいとか、悲しくないとか、そういう感情ではなく。

あー、自然ばっかりは、どうしようもないなー。

そんならせめて、人間くらいは好きな人や気の合う人と仕事したり、

生きたり、愛したりしなきゃ、もったいないなーという感情に

落ち着きました。刹那的、かも知れませんが。

この刹那を幸せに生きるって、大事だなと。我慢して正しく賢く

しゃちほこばっても、命が終わるときは終わる。

なら。

気持ちよくやれることを気持ちよくやっていくのがいいんだなと。

ちょっと、軽く人生を軌道修正しようかと思っています。

贖いとか、妙な義務感とか、どうでもいい。正義とかもいらない。

価値観の合う奴と一緒に仕事して、金を稼いで。

一緒にいると損ばかりする環境は人間とはとっとと距離をおいて。

嫌な事は嫌だといって。楽しめそうなことは楽しんで。

暖かい日はてくてく歩く。ご飯を食べる。好きな人と1日の終わりに話をする。

ハグをする。手をつなぐ。ありがとうって、言う。ぐっすり眠る。

そんなんでいい。

種を追いかけようと思ったら、必須になるのが語学力。
海外の文献が読みたい、しりたい、それと関わる
仕事につきたいとただいま勉強中だったりします。

英語の達者なおじさんから教えてもらってるんですが、
出稼ぎの中国人の女の子たちのクラブに出入りしつつ、
彼女たちを金ばかりが目的の不法入国者と唾棄している
のを聞いて、すごい自己矛盾だなと。

私に言葉を教えてくれる寛容がありながら、
通い詰めている店の女性は害虫のように言う。
「金ばかり目当てにしやがって」みたいな。
いや、あんたが小金持ちだと吹聴するからだよ。
ミラー効果だなあ。

中国人は確かに増えてますが、彼らを盗人扱いすれば
彼らは盗人になるんでしょう。逆に彼らの知恵やスキルや
ハングリー精神を取り込んで、敬意と厳しさを以て
フェアに扱えば、日本人に利益をもたらす存在に
なるんでしょう。

さて。未来はどっちかな?

世界のすべては鏡の世界。あべこべに映る姿を補正する
のは、同じ目的と美意識と幸せの共有だったりします。
時にはパワーだって、大事だけれども。

もし、日本が好きなら、日本が好きだ。大切だと
いう言動を以て、相手に敬意を払いつつ中国人に
接したら、金の無心じゃなく、国を越えた友達を得る。

盗人じゃない段階で盗人扱いしたら、彼らは身中の虫になる。
荒んだ心で日本に入国する人に日本人の美意識を
伝えるのは、この国を守ることにもなるんじゃ
ないかなあと感じました。

韓国人より中国人のが、どこか人間として実直に感じて
しまうのは、なぜだろう。あくまでも個人としてですが。
さて、去年から調べものを再開しております。

その一環として、伝統野菜のワークショップ
に出たり、種まきや収穫を楽しんでいます。

モンサントやデュポンなどのバイオメジャー
云々から始まったことですが、追いかけて
いるうちに伝統野菜を食べる機会が増えて
「なんて美味しい!」と。

もはや純然たる人生の楽しみになりつつあります。

東京に来てから「野菜がまずいなあ」と感じて
いましたが、品種が掛け合わせの一代種、
つまり、F1という運搬しやすく、規格を
揃えるために味わいを犠牲にしたものなんだ
そうで、まずいのは当たり前だったんですね。

広がってしまった経済規模に対応するため
とか、農家の効率とか、事情は様々ではあるけれど、

日本の伝統野菜が消えていく原因にもなっています。

食べて思ったのは、F1野菜じゃない野菜
を食べると翌日の体調がいいこと。

プラシーボ効果みたいな偽薬の心理かとも思った
んですが、お通じが大変よい。

有機野菜は高いからという、そこのあなた。
実は、農家さんと知り合えるアースデーや
日曜市なんかに行くと、格安で伝統野菜で
有機ものが取り寄せられます。

ネットでもすぐに探せますよ。

日本は遺伝子の方舟と言っていいほどに
多様な地質と島々に恵まれている国。

たくさんの伝統品種、北半球のほとんどに
対応する作物がある国。
日々のなかで、美味しく、楽しく、しなやかに
この国の食文化を守る。

そんな小さなことから、守れる未来と
世界があるんだなと。

とか、大きなことをいいつつ。
ま、純粋に野菜が安いわうまいわ、たまに
参加できる農作業は楽しいっていうことなんですが。
旧年中は妙な更新が多かったのですが、
本年より通常営業に戻ります。

みなさん、よい新年を迎えてね。

震災以来本質的なことや未来について

考えることが増えましたが、いま、今日

現在の選択が未来なんだと思います。

なにを食べて、なにを見て、なにに希望を
見いだすか。

未来ってのは、その多数決でもあるようです。

富の偏在が本来的な多数決を歪めているなら、

それをバランスするために、ネットメディアや

デモがある。

世界はいま、とても面白い時間のなかにある。

分水嶺のような時代。

多分、ここで書いているものも、その流れの

小さな力の一部なんかなと。

流れに身を委ねることと、あきらめることは

違うんだと思います。

きっと、この一年は日本と世界にとって、
とても大切な一年になる予感がします。

たとえ、世界にどれほどの混乱があっても、日本人は

大丈夫。世界のどんな国より早く、進んでいる

国だから。

みなさん、お元気ですか?
最近、妙な更新が続いていたのでご心配を
かけました。

長い間、というか、これまでの人生で
もやもやしていたいろんなものが、
すうっと楽になってきました。

子供のころに巻き込まれた事件の傷や、
壊れてしまった家族。
亡くして二度と会えない人たちや、その死の前に
何一つ満足にしてあげられなかった自分。時代の先読みがガンガン具現化しても、
なにもできずに次に起きる悲劇に対応できない自分。
夢を共有して、みんなで楽しくお金をもうけて
世界一、みんなに好きになってもらえる会社
を作ろうとして、負の感情を引き取って
他の人が笑ってたらいいやと背負い込んで、
その苦しさと辛さに子供ごと壊れてしまった自分。
大好きで一番大事な子供にご飯すら作れないほど
弱ってしまった身体。
いやあ、何回、倒れたんだ今年はというくらい倒れた。

自分を責めて責めて、追いつめて、背負い込んで
ボロボロになって。過去に起きた悲しい風景を
見たくなくて、これから起きる時代の激変に
対応せねばと、それでも頑張ってみて、
とうとう、身体が動かなくなってしまいました。


でも、真剣すぎるほど悩んで足掻いて、
たくさん泣いて、やせ我慢と勢いと信念だけで
すべてを乗り切って自分がもう保たなくて、
もう無理!助けて下さい神様!と言ったら、
なにやら物凄いご縁のリレーションに
どんどん助けられて、寛解し始めていたりします。
弱音を吐いて、迷って、すべての重荷を
全部、自分から外してみました。
たくさんの人たちに助けてもらいながら。
たくさんの人が私のために動いてくれて、
たくさんの勇気や元気をいただきました。
物凄い方々が、懐かしい人たちが、いろんな形で
崩れていく私を受け止めてくれた。

みなさん、ありがとうございました。

もう少し元気になったら、ご恩を返します。
そして、みなさんがくれた優しさや知識や知恵を
誰かが困っているときはリレーションしようと
決めました。

奇跡のように、というより、奇跡なんだろうなあ。
こんなにも、有り難い縁に守られて、とんでもない
偶然に支えてもらって。

dokoiko再起動です。
まずはハードの修復を完璧にしなきゃですが。
さあ、遊びをせんとやうまれけむ。