自我、というものは正しいのか間違いか。
最近、そんなことを考えていたりします。
自我が完全に消失すると、生活が大変になるので、
リアルなこの世界と、どうやって折り合いをつけて
生きていこうか、なんてね。そんなことを考えます。
人間の感情の3元素である愛も欲も恐怖も、我なんだ、
なんてことを考えると、ちょっとどうしたらいいんだろうと。
遊びをせんとや生まれけむ、というのが生きる本質
だったりするのが、わたくしの本質的なベクトルなんですが、
私にとっての遊びとは、なんぞや、などと。
ものがたりでも、書こうか。ものかきだし。
さて。とりとめないですが、妙に悟ってしまうと
妙なことに気がついたり。
日本語というのはとてもよくできていて、同音語が実は
本質において同義であるということに気がついたり。
気付く、は築く。のもとであるな、ということとか。
我とは主語の「私が(我)」「私は(我)」だな、とか。
おっさんになると、駄洒落が増えるのは、万物を語る言葉
の音にこそ、その本質があるんだよってなことを
うっすら悟って、仏の座に座り始めているんだなと。
彼らがどっかアバウトなのは、我が消失しつつあるのかな、とか。
万物は流転するけれど、音の波動ってのは基本的に
同じ本質へと回帰するのかもね。
さあ。どんな物語を書けば楽しいかな。
最近、そんなことを考えていたりします。
自我が完全に消失すると、生活が大変になるので、
リアルなこの世界と、どうやって折り合いをつけて
生きていこうか、なんてね。そんなことを考えます。
人間の感情の3元素である愛も欲も恐怖も、我なんだ、
なんてことを考えると、ちょっとどうしたらいいんだろうと。
遊びをせんとや生まれけむ、というのが生きる本質
だったりするのが、わたくしの本質的なベクトルなんですが、
私にとっての遊びとは、なんぞや、などと。
ものがたりでも、書こうか。ものかきだし。
さて。とりとめないですが、妙に悟ってしまうと
妙なことに気がついたり。
日本語というのはとてもよくできていて、同音語が実は
本質において同義であるということに気がついたり。
気付く、は築く。のもとであるな、ということとか。
我とは主語の「私が(我)」「私は(我)」だな、とか。
おっさんになると、駄洒落が増えるのは、万物を語る言葉
の音にこそ、その本質があるんだよってなことを
うっすら悟って、仏の座に座り始めているんだなと。
彼らがどっかアバウトなのは、我が消失しつつあるのかな、とか。
万物は流転するけれど、音の波動ってのは基本的に
同じ本質へと回帰するのかもね。
さあ。どんな物語を書けば楽しいかな。