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キルギスに生きる/写真ブログ

青年海外協力隊として、
中央アジアのキルギス共和国にて野菜隊員として活動中。
キルギスの話をするブログ。

日本でもハーフはかっこよくなるとかかわいくなるとか色々言うと思うんですけど、
キルギスでも同じようなことを言うんですよね。

というか言われるんですよね。

「キルギス人の女の子と結婚しろ。」
「キルギスの女の子を日本に連れて帰れ。」

もう、キルギス人共通の口癖ですよ。

女の子に対しては、
「キルギス人と結婚してキルギスに残れ。」
とかですかね。


話が少しそれましたけど、この会話の延長線上に「ハーフはいい子が生まれる。」という話になるわけです。
具体的には日本人とキルギス人との間に生まれてくる子どもは頭が良くて、強い子が生まれてくるんだとか。
前例なんてほとんどないのにまた適当なこと言うんですよ。

日本だとどっちかというと姿容の事を言うんじゃないですかね。

ま、どちらにしろ雑種強勢ってやつですかね。
あれ?少し違うかな?

それでは写真です。

写真は知り合いの甥っ子で、写真を撮ってくれと頼まれて撮りに行ったんです。
キルギス語ではジェーン(Жээн)って言います。
お姉さんの息子って意味です。

キルギス語には腐るほど親族の名前があるんですよね。
女と男で変わったりとか、二十数代まえまでの先祖の呼び方がありますからね。

キルギス来て2ヶ月くらいで覚えるの諦めましたね。



雪かきで遊んでました。


キルギスの子どもたちの冬の恰好はやたら着せられてモコモコしていてかわいいです。


ではまた。




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船の墓場は、というかアラル海は一度は行ってみたい所の一つだったのですが、
すごくさみしい感じの所でした。
ま、冬だということもあるのかもしれませんが。

寂しさばかり感じるところでしたけど、やっぱりすごかったですよ。
ここが一面海?で船が浮いていたとは到底思えませんでしたね。

モニュメントから階段を下りてアラル海の底だったところを歩いてみたわけですが、
到底水の下にあったとは思えませんでしたね。

ただの砂漠でしたよ。砂ばっかり。
一応木も生えてましたけどね。


それでは写真です。


モニュメントの所からみた船の墓場。


置いてある船。
フラフラと見て歩いていたら、船の陰で現地のカップルがいちゃついてました。
誰もいないと思ってたのでめちゃくちゃビックリしましたよ。



風できれいな模様ができていました。


今日で番外編ウズベキスタンは終わりです。
次回からはまた、キルギスのことを上げていこうと思います。

ではまた。


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ウズベキスタンで一番居心地がいい気がしたのがカラカルパクスタンでした。
なんでかって、キルギス語がめちゃめちゃ通じるんですよ。

カラカルパク語って言葉らしいんですけど、
すごくキルギス語に近いんですよ。

喋ると「おまえはカラカルパク語喋れるのか!?」なんて言われることがあるほど似ているようです。

後からキルギスに帰ってキルギス人に聞いたところ、
カラカルパクスタンはキルギス人とカザフ人の中間なんだとか。

ヌクスや、他の田舎町の雰囲気も若干キルギスとかに近い感じでした。

現地語のように伝わるのが楽しくて楽しくて、
無駄にバザールのおばちゃんなんかと話をしてました。

ま、そんなカラカルパクスタンでは船の墓場と言われる場所があるアラル海の昔の漁港だったムイナクへ行ってきました。
本当はアラル海まで行きたかったのですが、さすがに時間が無かったので行きませんでした。


では写真です。


とりあえず博物館へ行ってみました。
他な観光客は誰もいないし、おばちゃんは親切に案内してくれるしで良い所でした。


船の墓場のモニュメント的なやつ。
右側がかつてアラル海だったところです。


明日は船の墓場の写真を載せようと思います。
そして、明日で番外編ウズベキスタンも終わりです。

ではまた。




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