ぼくの家系は仏教徒で浄土真宗なのですが、ナムアミダ~
別段ぼくは仏教に帰依してもないのです。
生活の中で意識することもないのです。
だが、今から22年前にぼくに与えられた聖母マリア像です。
亀裂や欠けている部分があるのは、不慮の事故です・・・。
接着剤で補修して、未だ僕の部屋にあります。
カトリック系の幼稚園に通っていた時の卒園記念の品です。
旧約聖書を物語風にわかりやすくアレンジしたものを読んだ記憶が有ります。
祈りの言葉などは既に記憶の彼方に消え去っています。
「天にまします、我らの父よ・・・」だったかな。
宗教への距離が縮まるのは、やはりお葬式なのですが、
思いがけず、テレジア様の言葉でこのマリア像に意識が向きました。
もはや、祈ることさえおこがましい。
精神年齢が低くて、甘えんぼで、怠け者で、自己卑下を逃げの口実にして、
嫉妬深く、奉仕の気持ちも無く、都合のいいときだけ神頼み。
で、今度は仏教の話。
祖父が亡くなったときのお坊様の教え。
浄土真宗によると、人間は死ぬと皆仏様になって、仏様の国に旅立つそうです。
すぐに行っちゃうので、49日という概念すらありません。
そのために、仏様の国での名前をお坊さんから頂いて旅立つのだとか。・・・確か。
南無阿弥陀仏というお経には、そのためにするべき修行を阿弥陀様がフツーの人間の代わりに
完成されてくださっている意味があるとか。だから、すべの人は分け隔てなく救われるそうですが・・・。
フーン・・・。(・∀・)ソーナンダー
こういう、都合よく宗教をはしごするヤツをコウモリ信者と言うそうです。
ぼくは救ってもらえそうにないな~