「日本一小さなホーム」入る

 

父の新たな受け入れ先を探しているとき、地域内郵便でチラシが入ってきました。

 

オール手書きのそのチラシには「通って、泊まれて、終の住処」とあり、最期まで穏やかなケアは得意です。というキャッチコピーが目にとまりました。

 

最後まで?

 

ということは看取りまでしっかりやりますということだろうか。と思い、早速訪ねてみました。

 

そこは田んぼに面した住宅分譲地にある平屋建ての「普通の家」でした。

居抜きではなく、東日本大震災の直後に施設用として新築したそうなので、最初から「普通の家」というコンセプトで建てたようです。

 

廊下や風呂場に手すりがついていたりするだけで、どの部屋も見た目は一般住宅そのもの。中央の和室が談話室兼デイサービスルーム。その隣の洋室には、4人がけのテーブルがあって、そこが食堂。狭いながら個室が4つもあり、そこが入居者用の部屋・つまり入居定員はギリギリ4人。私が訪ねたときは、おばあさんが2人入居していました。

 

運営主体はNPO法人(特定非営利活動法人)で、代表理事は、介護保険制度が始まる前から宅老所(自宅などで、老人の預かりた世話をする業態)。をやっていた。介護に関してはベテランの女性Nさん。(私と同い年の60代)Nさんを含む女性スタッフ6人が交替で常駐し、昼は2~3人、夜は一人態勢で運営している。自称「日本一小さなグループホーム」でした。

 

正確にはグループホームではありません。2015年の介護保険法改正後は。利用定員18人以下の「地域密着型通所介護」施設という区分に入ります。

 

泊まり部分は、介護保険適用にならず、「自主事業」なので、名乗れる名称は「デイホーム」夜間の介護分はすべて自費負担となるため、費用総額は概ね特養より高くつきますし、オムツや薬などの費用も利用者(実際には家族)がしなければなりません。

 

最初に訪ねたときに応対していくれたのは、運営代表者Nさんの娘であるSさんでしたが、「うちはほんとに見たまんまで、普通の家みたいなところです。」とシャキシャキした表裏のない受け答えで、好印象でした。

 

少人数なのできつい決まりなどはなく、食事も「今日は暑いから素麺が食べたいなあ」「じゃあ、そうしようか」といったノリで作るし、ときにはみんなで、ふらっとドライブに行ったり、身体が動かせる人は「買い物に行くけど、一緒に行く?」と誘って連れ出したりもするといいます。さらにはデイホームでありながら、入居者が「◎◎(介護施設)に友達がいるから、火曜日は◎◎デイサービスに行きたい」とか「△△施設のお風呂は広くて気持ちがいいから、入浴はあそこがいい」と要望すれば、ちゃんと応えるというのです。

 

介護施設に他の介護施設から車が来てデイサービスの送り迎えをする図というのも不思議ですし、それでは経営が成り立たないと思うのですが、Sさんは笑いながら、「うちは普通のホームとは違って、何でもありなんです」と説明してくれました。

 

看取りについても聞きました。しっかりした口調で、「もちろんご本人やご家族との話し合い次第ですが、うちでは最後の最後。食べられなくなったら、無理に栄養点滴をせず、水分をそっと補う程度の介護で、自然に………というほうがいいと思っています。そうして何人も看取ってきましたし、優秀なお医者様も訪問診療で、手伝ってくださっています。」と即答してくれました。

 

唯一空きがあった施設が、看取りに関してしっかりした哲学と責任感を持って運営しているとは、何と言う幸運でしょうか。

 

写真を撮らせて貰い、横浜の特養にいる父に写真を添えて手紙を送り、電話で「こんなところだけとどうか」と訊くと、「いいじゃないか………大賛成だ」と、直ぐに乗り気になりました。やはり特養では自由が制限され、入所者も反応が薄い人達ばかりなので、息苦しさを感じていたようです。

 

そんなわけで、父は横浜から日光に移り、新たな生活を始めました。

 

転居に伴う諸々の手続き、介護保険の引継ぎ、日光市内でのケアマネ探しなどなどのいくつかの関門も、周囲に助けられて何とか、通過できました。

 

Q翁:筆者の父親(Q翁と同期の桜)も記述によると要介護4から、見違えるように回復し、息子の住居のある日光に日本一小さなグループホームが気に入り、新たな生活が始まったということで、、Q翁もほっとした。

 

誰もがこうなるとは限らないのであろうが、老人は置かれた環境によって、要介護度は大きく変化することが分かる。Q翁のように独居生活をしていれば、できることは何でも自分でやらなければならないと思っているから、それだけで、老いてはいられないと思う。これが特養などに入り、生活はすべて介護士さんに任せ、車椅子に乗せられ移動していては、おそらく益々老け込んでしまうのではないかと思う。

 

一般家庭でも、あまり至れり尽くせりにすると、老人をいたわったことになりません。亡母なども、自ら限界と決めつけ、何でもQ翁と亡妻に頼るようになってから、めっきり老化が進んだように見えました。

 

大事にされている老人が早くから認知症になってしまう例も見聞きしてきました。認知症があって、自分事ができなくなったのか、大事にされたことが認知症を進行させたのか、判断に迷うところです。

 

これを思うに、施設入居は、できるだけ遅らせた方が、老人にとってはいいようです。それで孤独死になってもおめでたい話ではないでしょうか。

 

日本一小さなグループホーム。最期は自然死を選択してくれるなら、Q翁もいずれお世話になりたいと思うほど、理想的な老人ホームだと思いました。

 

そんなことを考えさせられる今日の記述です。