第5章 日本国憲法は「違憲」であるーーー主権をめぐる考察

 

憲法改正の大きな論点は9条

 

 さて、日本と西洋で「統治」の観念がかなり異なっていることを述べました。このことは、当然「主権」や「主権者」の観念ともかかわってきます。さらに「主権」は「憲法」とも不可分です。

 

ところが日本では、政治の歴史的伝統の中に「主権」という観念は、殆ど存在しないのです。私には、今日に至るまで、日本人の「憲法」についての意識の低さ、あるいは無関心さは、この「主権」観念の弱さと無関係とは思われないのです。

 

そこで、この章では、「憲法」と「主権」に焦点をあてて、私達の政治的意識を、論じてみたいと思います。

 

社会は時代と共に、変化します。たとえば、大東亜・太平洋戦争が終結し、1946年に日本国憲法が制定されたときに、現在のような情報化やグローバル化の進展を誰が予想したでしょうか。

 

また中国の経済が、GDPで、世界2位になるほどに、成長し、アメリカに脅威を与えるまでの国家になっていると誰が思ったでしょうか。

 

国家の在り方は、時代と共に、変わります。それに伴い、法律は変化していきます。たとえばコンピューターやインターネットが普及し、社会の中で、重要な役割を果たすようになると、「不正アクセス行為の禁止等に関する法律」が制定されましたし、サイバー犯罪に対応すべく、刑法も改定されています。

 

同じように、制定から70年が経った日本国憲法も、時代に合わせてその姿を変えるべきだという意見も当然といえば当然でしょう。

 

特に、憲法改正を議論する場合、現行憲法の最大の特徴であり、また争点になっている憲法第9条は避けて通れません。

 

現在の第9条は、自衛隊の位置づけが非常に不安定です。

 

東日本大震災や熊本地震においては、被災者の救助や、復興などの活動に従事し、自衛隊は高い評価を得ています。一方で戦乱地への海外派遣や、米軍などと共同歩調をとることを可能にする安保法制には、反対の声が、根強くあります。

 

しかしながら、尖閣諸島をめぐる中国との対立をはじめ、近隣諸国との小競り合いやグローバルなテロの脅威に際しては、自衛隊が最後の砦として、対応することが求められていることも事実です。

 

もちろん天皇の生前退位や女性の権利など、憲法に関する議論の焦点は、ほかにありますが、第9条および、国防に関する議論を欠かすことはできません。そして国防とは、何より私達の主権に関わる問題なのです。

 

そこでここでは、まず憲法というものについて考えてみたいと思います。それは「主権」と言う概念を論じてみたかったからでもあります。

 

Q翁:「平和憲法をまもれ」「日本が戦後70年余、平和で一人の自衛隊員の戦死者をださなかったのは憲法9条があったからだ。」

日本が世界に誇れるものは、平和憲法9条である」だからこれは死守しなければならない。と声高に叫ぶ、野党の議員たち。

しかし日本人の多くは、国民こそ主権者であるとう意識は極めて薄い。だから選挙になると、目の前に並べられる美辞麗句に惑わされるし、選挙への関心も薄くなる。

 

日本は言うまでもなく島国であり、国境を接していない。そういうことで絶えず国境を越えて、侵略されたり、したりしてきたヨーロッパの人々とは考え方が異なるのであろう。自分達の国の主権を守るということは、全てに優先する重要なことなのである。それは「国防」である。

若し国境を越えて侵略をされたら、すべての国民は立ちあがり祖国を守ろうとするのである。国防最優先の国から見ると、日本人が平和憲法で主権が守られると思っていることは、信じがたいことに違いない。憲法擁護派の人々は、それが世界の誇れる日本国憲法なのだという論法になる。

 

明日投票日を迎える令和最初の国政選挙、参議院選挙もいまいち機運が盛り上がらない。毎回50%前半の投票率となるのが、参議院選挙の通例であるから、今回は50%を維持するのも難しいのではないか。「どうせ私が一票を投じても政治は何も変わらない」というのが、棄権する人の捨て台詞である。

 

自分が主権者であるなどとは微塵も考えていない。これで日本は民主主義国家だなどと言えるのであろうか。まず有権者の半数が棄権し、残りの半数で、票を争っているのである。思えば半数の国民の意思が政治に反映されないとすれば、Q翁は選挙そのものが無効だと思う。

 

よく弁護士さん達は、1票の格差を問題にして、選挙の無効を訴えているが、低投票率を問題にする弁護士さんは居ない。棄権も意思表示だと言うが、Q翁周辺の人を見ていると、そんな高尚な理由で棄権しているのではないことがわかる。前述したように、「選挙に行っても何も変わらないから、面倒だからいかない」 が本音である。都内繁華街で、若い女性に質問すれば「政党もわからないし、候補者も大勢いて、誰に投票していいかわからないから投票にはいかない」と答えていた。これら若者、政治には何の興味もなく、日々遊び呆けているようにQ翁には見える。

 

今回低投票率を改善しようとある商店が、店が、投票に行った証拠を示せば、店の品物の割引をすると言って、宣伝しているが、商品の割引を貰うために、選挙に行くのであれば、主権者たる国民の意思表示という本来の目的からするとかなりかけ離れているように思える。そんな人は棄権の方が、よいように思う。

 

国の将来を憂いて1票を投じる者からすると、何かバカにされた感じがする。それこそ1票の価値を考え直してほしいと言いたくなる。