「ビタミン愛」をゲット!

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今月最後の稽古は、

唐物の真。

私の柄杓の扱いで、不完全な部分を

指導して頂きました。

お釜から柄杓を取り上げるときには、

合の底が平らになるまで柄を持ち上げてから

移動すること。

意識しないと忘れてしまいそうなので、気を付けます。

水指は「不識(ふしき)」。

こちらの不識水指(ふしきみずさし)は、常滑焼です。

「不識」とは、梁の武帝の問いに対する

達磨大師の答えなのだそうです。
(どういう意味だろう???)

それが転じて達磨大師のことを指すようになり、

その形が達磨に似ているところから、

千宗旦が名付けたといいます。

床の間には「生々流転」

寄付きは「清浄光」

玄関は「白雲去復来」

 

「生々流転」は、世の中の全ての物は、

次々と生まれては時間の経過とともに

いつまでも変化し続けていくという意味です。

「清浄光」とは、罪を洗い流す清らな阿弥陀仏の光を言うそうです。

「白雲去復来」は、白雲自去来、と同じで、

雲が次から次へと湧き起こっても、山は元の姿のままそこにあるように、

人は煩悩や妄想の雲に惑わされることはないんですよ、

という意味だろうと思います。

物事は時間と共に変わっていきますから、

柔軟性をもってしなやかに生きていこう、

というメッセージかな、と思いました。

花入れは、覚々斎好みの手付き置篭

花は、ササユリ、野牡丹、河原撫子、

金糸梅(弟切草)、露草、ドウダンツツジの枝。

 

主菓子は静岡増田屋製「水ぼたん」

干菓子は新潟の大杉屋惣兵衛の麩菓子と打物。

毎回、炭点前を順番に稽古していますが、

なかなか覚えられず、そろそろ覚えたかなー、

と思う頃に、季節が変わってしまいます。

9月2週目が私の担当。

エア練習をしていかなくては。

今日は24節気で「大暑」。

文字通り、本当に暑い一日でしたねー。

まさにこの短冊という感じ。

これは「緑樹蝉鳴」

李白の詩の一節のようです。

 

「簾外薫風燕語 庭前綠樹蟬鳴

(簾外薫風燕語り、庭前の緑樹蝉鳴く)

(すだれ)の外には五月の薫風が吹き燕がさえずり、

庭さきには青々と若樹が茂り、蝉が鳴きはじめた。

 

 

今日の稽古は且座。
久しぶりにお花を担当することになり

数週間前から、庭とにらめっこして、

咲く花を探していましたが、

我が家には綺麗に咲いているのはつゆ草と

ゼフィランサス、黄色のカラーだけ。

 

向かいに住む岩崎さんと島村さんから、

おすそ分けいただいて、

水引草、ぎぼしの葉、つわぶき、

山吹の葉、千日紅、ミソハギ、

カワラナデシコ つゆ草を揃えました。

稽古場で花台を整えて準備万端。

床には「雨収山岳青」(あめおさまりてさんがくあおし)

これは山の景色を表しているのではなく、

私たち人間の心を表しているのだそうです。

雨とは心のモヤモヤや悩みのこと。
そうしたものが収まるとスッキリして、

「青山元不動」という状態になるのだそう。

だから、寄付きにこちらが

掛けられてあったんですねー。

 

心のもやもやが晴れたならば、

いつ、どこで、何をするにしても、

周囲の様々な現象に心をとらわれて

右往左往することなく

山のように少しも動ぜず、

泰然としてわが道を貫き通しなさい

というわけです。

 

そうします!

今日は小四方棚。

水指は安南(ベトナム)。

そして、私が生けたのはこちらの手つき置き篭に、

水引草、カワラナデシコ、千日紅。

意外とバランスよく収まりました。

炭、香、と順調に進み、

各服点で濃茶を頂きました。

 

主菓子は「たまがわ」静岡増田屋製。

薄茶の時の実(見?)菓子は、

大玉の桃🍑。香りがとてもよかったです。


毎回、必ず学びがあるのに、

すぐに忘れてしまう。

備忘録のつもりでここに記録していても、

書いたから大丈夫、と無意識に安心するのか、

記録はしても記憶はできていない。

これが私にとっての大問題

んー、何とか工夫して覚えたい。

何十年も稽古しているはずなのに、

覚えていなくて自分で情けない。

そして、聞かれても答えられない自分が

本当に恥ずかしい。

自己効力感ダダ下がり・・・。

来週の稽古を終えたら、
ひと月お休み。
 

7月初旬の稽古、

この日は、夏らしく平水指。

お茶を始めたばかりの頃は、

平水指に袱紗を畳んで置いたり、

ひしゃくと蓋置きを置いたりするその作法に、

意味が分からず、頭の中は「???」でした。

これはお稽古の中で行う袱紗飾りの一つだそうです。

割蓋水指や大きな平水指を使う時など、

水注ぎをしない場合に、畳んだ袱紗を

蓋のうえに飾ります。

その形が蝉に似ていることから、

蝉結びなとと呼ばれることもあります。

あくまでも通称で、正式名称ではありません!

私は最近見なくなった「ひぐらし」のつもりで

袱紗を結びました(笑)。

あ!でも私、水を注いだ気が・・・します。

私、点前を間違えたかも・・・

ブログを書いて気づくというのも遅すぎますね。

いずれにしても、始まりと終わりの飾り付けを変えて、

席中に変化をもたせるという茶人の美学ですね。

次の方が、この袱紗を使って、お茶を点てて、

今度は、水指の蓋の上には、ひしゃくと蓋置きを

飾っておきます。

 

玄関には、

「若竹や北山かげの昨日今日」

ちなみに、竹に関する季語で

私が毎回間違えてしまうものに、次の二つがあります。

「竹の春=秋のこと」

「竹の秋=春のこと」

今回こそ、覚えよう!

逆立ちした「め」?と思ってしまったこちらは、

「竹」と読みます。その右側に「葉々清風」と

書かれています。

臨済宗の禅僧で、俳人としても知られた

中川宋淵の書でした。

 

そういえば、この日先生がお話ししてくれた中で

興味深かったのが、

無意識にしていることと、

意識してすることには時間差がある、ということ。

その差はわずか0.2秒ですが、

行動に移すと大きく表れるようです。

例えば点前をするときに、

「次は袱紗を畳む」と意識すると、

脳からの指令が無意識に畳むよりも0.2秒遅くなるので

流れるような動作にならないのです。

 

大寄せの茶会で、「失敗しないように」

と意識しながら点前をしていると、

たどたどしい点前になってしまうのです。

 

流れるような点前をしている方達は、

車の運転をするように、身体が覚えていて、

無意識にできているというわけです。

そうなりたいものです!

 

床の間には【竹有り上下節】の掛け物と、

手つき置き籠に、オニユリ、縞あし、ほたるぶくろ、

水引が生けられていました。

平茶碗は、

吉村楽入の楽焼き。

主菓子は、静岡増田屋製で

「あまのがわ」

さあ、今週の稽古は「且座」。

私は花の担当です。

庭の花は、日当たりがよすぎて

お茶室に生けられそうなものはないなぁ・・。

さて、どうしよう。