おはようございます!

 

ブログを再開して三日目、今日は、僕が普段利用しているジモティについて。

 

僕のジモティの利用目的は、いろいろな素敵な人と出会い、視野を広げたり、会話を楽しむこと、です。

 

確か、今年の3月くらいにジモティで出会った大学生の方とZoomでお話しして、「めちゃくちゃ面白くて」以後、人と話したくなった時など、に活用していますね。

 

もちろん、色々な人が利用しているので、一方的に、暴言を吐いてくる人、はっきり言って訳のわからない言いがかりをつけてくる人、などもいます。一見優しそうなふりをして、自己中心的な人とかも。

 

とはいえ、いろいろ投稿内容を工夫すれば、そういうどうしようもない人を篩に落とした上で、いい意味で「濃い人」とも出会えます。

 

で、その具体例として、僕は「不登校」というキーワードを使っています(僕は小〜大まで不登校です笑。世間的にはそこそこの学歴ですけどね)。

 

これまでに、不登校、というキーワードでお話しした人は、3人、ですが、皆いい人で、かなり長期間やり取りしていますね。

 

ちなみに、これが、現在募集している投稿です。

 

 

 

 
かなり長文ですが、現在のところ、3名の方に好意的で、熱心な問い合わせいただき、うち2名の方とは近々お話しさせていただく予定ですね。
 
もちろん、これは具体例です。ただ、上記の投稿文結構参考になるんじゃないかなあ、とは我ながら思います笑。
 
ありきたりな行動では、自分と似たり寄ったりの人としか出会えないはずです。
 
じゃあ、どうするか?
 
僕の場合、こんな感じです、ということです。
 
ちなみに、以下の写真から、お気に入り数ってすごくどーでもいいってこともわかりますね!
 
 
 
以下、参考までに、上記投稿文をコピペしておきますね。
 
 
ーーーーー
 
(以下、すこし長めの投稿文を書こうと思っています。
書いている内容は、募集趣旨、募集意図、自己紹介、などです。

なぜ、すこし長めの投稿文を書こう、と思うか、というと、僕は、「誰でもいいから、仲良くなりたい」という考えの人ではないからです。

僕自身、ジモティなどSNSで誰かに声をかける際は、相手の投稿文などを読み、「この人はなんかいいな」と思った上で声をかけるようにしています。
つまり、人柄とか人間性とかを自分なりに推測した上で、声をかけている、ということです。

その結果、自分の期待が外れる場合もありますが、それはそれで自分の見る目がなかったな、という感じで、自己責任で、いい経験値になるかな、という判断ですね笑。

なので、僕自信の投稿においても、問い合わせをしてくれる人の判断材料になるように、また、そもそも投稿文をよく読まずに「誰でもいいから、自分本位に他人を利用したい」という発想の人を振り分ける、という意図で、実験的に長めの文章で投稿することにした次第です。

ちなみに、以前もちょっと長めな文章を投稿した際、自己中心的な方に、一方的に批判されましたが、笑止。読みたくなければ読まなければいい、それだけですね笑。)

「募集内容」

僕自身、元不登校なのですが、
僕同様、元不登校だったり、現役で不登校(ただし18歳以上)だったり、不登校ではなかったけれど学校に馴染めなかった、違和感があったという方を募集します。
Zoomを使って、歓談できたら、と思っています。
(以前は、地元広島市の方とは直接会っていたのですが、ここしばらくは、ちょっと面倒になってきて、どの地域の方ともZoomを使用することにしています。Zoomは無料会員です。)

なぜ、元不登校のようなカテゴリーで募集をするのか?というと、
いくつか理由があるのですが、たとえば、
・単純に似たような経験をしており、話が合いやすいから。
・実際に、元不登校の友達が複数いて、仲が良く、きっかけさえあれば他の元不登校の方とも仲良くなれる気がしているから。
・学校に通わなかった、違和感があった人=ルールに縛られない自由な発想をできる人、である場合が多いから。また、そういう人と話していると、楽しいから。
・僕の個人的経験則ですが、僕の元不登校系の友達はおおむね、知的好奇心が旺盛だったり、優しかったり、と知的精神的な面で素敵な人が多いから。
・元不登校=周囲から差別された経験がある人、という面もあり、社会の矛盾とかに敏感だったり、真剣だったりする人が多いから。
・あと、「不登校」というキーワードを入れておくと、広島以外の方から問い合わせてもらって仲良くなった、ということが過去にあったから。
みたいな感じですね。

実は、数ヶ月前にもジモティで似たような趣旨の募集をして、仲良くなった友達がいます。

僕は、これまでに2、30人くらいの元不登校の人と出会ってきたのですが、僕の彼らに対する印象は、
・優しい人が多いな。
・知的な人が多いな。
・勘の鋭い人が多いな。
・感情の豊かな人が多いな。
・人を一方的に批判する人は少ないな。
・やはり、何かしら特殊な家庭の人も多いな。
・一部、根暗な人もいたけれど、周囲から否定されすぎて、根暗になったのかな、という印象の人もいるな(具体的には、暗いことをよくいうけれど、他者を否定する系の暗いことは言わない人が多い)。
といった感じです。
もちろん、問題行動を起こす人もいたし(もちろん、一方的にどちらが悪い、という話ではないですが)、また、僕自身未熟な面はありますが。

というわけで、僕としては「不登校や学校ぎらい」をネタにして、交友関係を広げることは、いろいろ良い効果が得られるように感じているわけです。
(別に、短絡的に、不登校の人とだけ関わりたい、というアホなことを言っているわけではなく、不登校をネタに素敵な人と出会えたらいいな、という発想です。)

また、一応、追記しておくと、出会い目的や何かしらかの勧誘目的ではないです。

「自己紹介」

以下、自己紹介を書きます。
というか、不登校などを中心に据えた略歴、ですね。

1993年広島で生まれます。

僕が幼少期の頃、母親がパニック障害で、山に置き去りにされるなどといったちょっとハードな体験を幼稚園から小学校低学年ごろ体験します。

(よく覚えていないのですが)幼稚園で一度、「この幼稚園に通いたくない」と自分から言い、転園しています。
転園先はモンテッソーリ教育を実践しているところで、いろいろ問題を起こしながらも、割と楽しく過ごしました。

小学1〜2年ごろ、担任の先生および同級生下級生にいじめられます。担任先生の言動に矛盾を感じること多く、不信感がちょっとありました。
不信感はあるけれど、先生は正しい、という認識が僕自身にもあり、ちょっとしんどかったです笑。

確か、小学1年のころ、ずる休みをして、「ずる休みをするなんて申し訳ない」という気持ちになり、自宅にて学習図鑑で自習をし、半日かけて二桁の割り算ができるようになります。ただ、翌日には、割り算のやり方を忘れてしまいました。

小学3年生ごろ、極度の鬱になり、気がついたら学校に通わなくなります。

小学3〜5年生ごろまで、フリースクールに通います。
中学生の先輩に可愛がられ、とても楽しく過ごします。
また、この頃自然と中学1〜2年生程度の代数を理解していました。ただ、その自覚はなかったです。
フリースクールではほぼ遊んで過ごしました。
フリースクール時代、2歳年上の友達に「DKくんは、あえて不利な方法を選び、それを楽しむところがすごい」と評され、とても嬉しかったです。

小学5年生の後半、暴力的詐欺的手段で不登校時を復学させる業者により復学させられます。ここでは省略しますが、いろいろ思うところはあります。

小学6年生ごろ、暗記科目以外だいたい学校の授業に追いつき、「なんだ小学校6年間の勉強って半年〜1年もあれば習得できるじゃないか。こんなことのために自分達を6年間も拘束する学校の先生たちは時間泥棒というか犯罪者なんじゃないかな」と素朴に思っていた気がします。

中学校は一年生の一学期だけ通い、残りはフリースクールや特殊学級、塾などに通いました。
この頃、やや学歴コンプレックスになり、性格がちょっと捻じ曲がってしまいます(今では、学歴コンプレックスないです。プロフィール欄に出身大学名を書いていますが、元不登校=低学歴と思い込んでマウントとってくる人が一部いて、そういう人が面倒臭いので載せているだけです。)。
中学時代、宮台真司、大塚英志、カール・フォン・クラウゼヴィッツとか読んでいました。

高校は通信制高校へ進学。
当時好きだった爆笑問題・太田光さんの影響で、在学時代一人も友達を作りませんでした。
高校1〜2年は遊び呆け、3年で1〜3年分の勉強をするという無茶な計画を立て、受験生の頃はちょっと参ってしまいました笑。反省です笑。
京都大学を受験して落第します。

京都の私大の文学部哲学科に進学します。
哲学を学びたかった、というより哲学者の文体に興味がありました。
ただこういう考えの学生は少なく、ゼミなどでかなり浮いてしまいました。
一般教養科目の論理学だけ、80人くらいのクラスで首席(毎回提出する課題でA~A+評価)。ただ、それ以外の科目は、ほぼ出席せず、適当なレポートを提出していたためかなり惨憺たる成績。
退学を考えるも、踏ん切りがつかず、気がつけば卒業。

卒業後は、社会福祉系の仕事を4年ほど勤め、離職。
以後、ホテルの給仕、旅館の住み込み事務、グループホーム世話人、コンビニバイト、清掃員、リラクゼーションマッサージ、自営家庭教師、などを転々とします。
現在は、週2、3日のバイトの他、のんびりやりたいことだけやっている感じですね。

最近なって、心療内科の先生から自閉症スペクトラムと診断。診断のために数ヶ月入院していたのですが、入院中、アル中とか元ヤクザとかいろいろな「優しい人」と友達になります。いい経験でした。
心療内科には、治療というより、遊び感覚で通っています。のんびりくつろげる空間というのは大切なので。
ちなみに、脳波がちょっと面白い感じらしいです。
知能指数は130くらい。ちょっと高いけど、めちゃくちゃ高いわけじゃない(一時期、自分の知能指数に劣等感がありました。最近は、そういうものにこだわるのはばかばかしいな、と思っています。)(後日の追記、この130というのは言語系のテストの数値。短期記憶系のテストはたしか97とかだったかな。どちらも病院で心理療法師さんに行っておもらった。ネット上で行った数列パターン推理みたいなテストは160だったけど、あれは時間無制限かつ大して難しくなかった。)
ちなみに、識字障害があり、本を読むときは基本音読(黙読だと、目が滑っちゃうんですね)。たぶん、20代前半〜1000冊くらい音読してきたんじゃないかな、と(カウントしているわけじゃないから、多分そのくらい、ということです)(別に、僕より十倍百倍千倍本を読んでいる人はざらにいます。でも、約1000冊の本を音読するのは、それなりの時間と情熱が必要なので、我ながらよくやったなあ、死ぬまでにあと4000冊くらい読めるといいね、という感じです。まあ、薄めの本もだいぶ混じっていますけど笑)。

そのほかとして、コーチングと中国武術を数年間学んでいます。
一応、以前所属していた団体から太極拳初段の認定をもらっていたり、2019年度上半期苫米地アカデミー(コーチングの最高峰アカデミー)を受講していたりします。ただ、もちろん、どちらも入門して、半歩前進したくらいの段階です。

最近は、活動範囲を増やそうと、オンライン読書会や海外から日本に来られた方の語学学習ポランティアなどに参加しようかなあ、と考えています。あと、カポエイラとシステマも習いたいなあ。僕を短評すれば、偏屈な社交家、ですね。

趣味は、読書、武術、哲学、文学、など。
好きな作家は、太宰治、石牟礼道子、見田宗介(真木悠介)、宮台真司、苫米地英人、光岡英稔、ウィトゲンシュタイン、冨樫義博など。
好きな音楽は、Jimi Hendrix、Jeff Beck、Lou Reed、奇妙礼太郎、折坂裕太、青葉市子などなどだったりします。クラシック音楽にはあまり感受性が働かず、いつか楽しく聴ける日が来るといいなあ、と思っています。

どーせ、死ぬし、人類もいつか滅亡するし、この世界も終わってしまう日が来るのかもしれないのに、わざわざ人を批判したり、自己卑下したりするなんてばかばかしい、と感じています。
お互いに、暖かく、自由闊達なコミュニケーションが大好きです。

最近、考えているのは、
自分の人生にも、この世界の存在にも、意味なんてない。
でも、
意味もなく、いろいろな人間や物事が存在していることこそが、豊かさ=多様性なのではないか、
ということです。
ぶっちゃけ、世界なんて白黒でもいいのに、意味もなくいろんな色彩に溢れています。多様性、豊かさと、無意味さは表裏一体なんじゃないかな、と(多様性=無意味にいろいろなものが存在している)。

まあ、長くなりましたが(一部自己紹介で省略した部分が実はあるのですが)、問い合わせてみたい方だけ、気楽に問い合わせてください。
問い合わせ文は別に、短めの文章でいいです(というか、その方が助かります。)。
明らかに、僕の投稿文を読んでいない、あるいは、読み飛ばしている、と思われる問い合わせはスルーします。

まあ、そんな感じです。


追記6/14

僕は、僕自身の意図を、全て、とはいかないまでも、「かなり丁寧に」説明することは、(僕自身の生き方において)大事なことだな、と考えています。
なぜか?というと、(僕自身の反省材料でもありますが、)多くの人間が、あまりに機械的に生きているから。
ジモティ=出会いの道具、などと短絡的に捉えてしまうと、誰でもいいから、条件に合った投稿に対して、機械的に問い合わせをしまくる、みたいなこともあり得る、と思う。で、それって、まるで、キャッチセールスとか、ナンパの手法ですよね笑。まどか☆マギカのQべえみたいな感じ?(未視聴者にはわからない黒い笑い)。
僕は、ジモティなどで未知の他者と出会う場合は、自分と同質ではない、けれど、発展的な話ができる他者(なおかつ、自立&自律している他者)と出会いたい、と思っています。
何かしらのキーワードだけ、提示して、そのキーワードに引っかかる人、と関わっていると、ここでいう、同質ではない=異質性が担保されにくい。
で、不登校、というキーワードを用い、なおかつ、これくらい長々と細く説明的に文章を書けば、かなり、面白い出会いが期待されます。
というのも、不登校、という括りは、カテゴリーエラーを集めるためのカテゴリーだから(つまり、ここに、不登校、という言葉の欺瞞があります)。
簡単に言えば、学校、というのは(すべての学校が、そう、とは言いませんが)、子供たちの規格化を目指しています。となれば、自発的にしろ、何かしらの事情があったにせよ、学校へ通わないという選択をした子供は、あえて選んだ道を進んだ子供、規格化を拒否した子供、と言えます。つまり、本質的に、定義不可能な異分子、と言えるはずですね。
でも、なぜか知らないけれど、世間では、そういう子供の方を、十把一絡げに語るために、「不登校」という言葉を使います。
僕は、これまでそれなりの数の(元)不登校の人にあってきたけれど、自分とそっくり一致するパターンの人はいなかったし、彼らは皆それぞれ違うパターンの人でした。
まあ、つまり、カテゴリーエラーのカテゴリー(従来の芸術行為に当てはまらない芸術行為を現代芸術と呼ぶとすれば、不登校、という言葉は構造的に、現代芸術、という言葉と似ていますね)の使用は、世間的な意味では、多様性の抑圧につながるけれど、意図的に、符号的に、暗号的に用いると、同質でない、けれど、何かしらかの共通項のある他者との出会いを期待できる、というわけですね。

蛇足ですが、よく「99%の不登校は、この方法で治る」みたいな、よくわからない本が世間では(というか小学校教員界隈などでは)持て囃されることがありますが、笑ってしまいます。
・万人規模の不登校の子がいて、それぞれ異なったバックグラウンド、それぞれ異なった思想、それぞれ異なったゴール(将来像)などを持っているにもかかわらず、単一の方法で、対応できる、と思っていて、しかも、それを大人の間で(書籍などで)共有可能である(まるで、空手の通信教育で強くなろうとしているかのようです)、と思っている時点で、頭の中がお花畑です。
・また、ところで、残り1%の不登校の子は、「特殊事例」として、放置しましょう、という発想なのですか?という素朴なツッコミが考えられます。
・さらに、そもそも論として、学校へ通う通わない、というのは、選択であり、病ではないにもかかわらず「治す」という比喩を用いているのは、悪意あるレトリックです。(そもそも、糖尿病など、病の大半は不治の病であり、治療、とは、その病に長期的に寄り添い援助すること、が大半だと思うのですが、その点、どう考えているのでしょうか?)

といいつつ、僕自身多種多様な人間の99%の言うことを聞かせることは可能だと思います。それは、実弾入りの拳銃を使う、と言う方法です。でも、それでいいの?と。99%の人間を思い通りに動かす方法って、本質的に暴力使用以外に、考えられうるのでしょうか?(反語)。

ちなみに、ここに書いたことへの、反論とか、そーいうのは求めていません。単に、この投稿に好意的に興味を持っていただいた方への参考材料、というか、余興です(僕なりの言葉で表現すれば、実際に会う前に出会う、ことが他者との有意義な出会いを開拓していくのでは?と考えています)。
ごくまれに、コメント欄に、つまらない書き込みをする人がいるのですが、まあ、何がしたいんだろう?と笑ってしまいます。
ちなみに、この投稿には、現在、好意的な問い合わせがそこそこきており、やはり、この方法は、なかなか良いなあ、と実体験しています。

まあ、そんな感じです。

 

先日、日曜日、とあるオンライン読書会に初めて参加してきました。

 

課題図書を読んでいなくても、見学参加がOKだったそうで、様子見で、参加した感じですね。

 

で、端的にいって、とてもいい経験でした。

 

その読書会の名前はここでは書きませんが、以下の点で、とてもおすすめですね。

 

・主催者さんの心配りがすばらしい。

 

・参加者さんの知的レベルがかなり高い。

 

・さまざまな年代、性別、背景の方が参加している。

 

まあ、かなりざっくり説明してしまうと、こんな感じです。

 

以下、少し詳しく細く説明すれば、

 

主催者さんは、5、60代の年配の男性の方なのですが、読書会が正義探し、正解探しによる、マウントの取り合いにならないように、課題図書の選定から、司会進行まで細心の注意を払割れていた印象です。

なによりも、声や話し方が、優しそうな方でしたね笑。

いい人は、喋り方ひとつで、「あ、この人、いい人だ、うれしいな」という気持ちになるものです。

 

具体的には書きませんが、海外で学ばれた方などもいましたね。

金銭的な理由と志望大学院が決まっていないという理由で、大学院進学を保留にしている僕みたいな人間には、こういうさまざまな角度から、知的な交流のできる大学院なら行ってみたいなあ、とモチベーションが上がる読書会でもありました。

 

確か僕を含めて六名ほど参加されていたのですが、ちょうど男女比が1:1でしたね。

年代も50代〜20代、おそらく、20代、30代前半、30代後半、40代、40代、50代って構成じゃなかったかな、と。

僕自身は、読書会、というか、学びの場には、さまざまな年代、さまざまな背景の人が集うことが望ましい、と考えています。

(実は、大学院への進学をやや躊躇しているのは、若い人ばかりだと、僕自身20代ですが、つまんねーじゃん、という率直な思いからですね。)

 

当初は、見学のみの予定でしたが、最後の方で、少しだけ僕も会話に参加しました。

主催者さんがレジュメを用意してくれていて、それを見て、いろいろ発見もありました。

 

共感とは、自分の心の中の弱さを見つめることで他者と繋がることだ、みたいな、意見があったのですが、僕はここから、クラインの壺の構造を連想し、自分の心=世界、を説明する方式として、クラインの壺の抽象構造が使えそうだ、と思いましたね。

 

僕は、割と人見知り、というか、複数名で話すときは、どの程度まで話していいのかわからないため、慣れるまであまり喋らない/喋れない、という傾向があるのですが、そうした点も温かく配慮してくれる空間でもありました。

相手が、こちらの意見をどの程度受け入れ可能か、を推測った後で、僕は喋りたいんですね。というのも、僕は相手の知的レベルに合わせた会話を心がけているからです。相手が知っていることを話題にしたり、相手の理解の枠組みを応用した喋り方をしたいんですね。で、一対一でなら、初対面でも、ある程度相手の知的レベルは手に取るよにわかるけれど、複数人が相手だと、ちょうどいい塩梅、というのが咄嗟にはわからない。ちなみに、僕のこうした態度を待機説法的、というのかな、と思ったりします。

 

この記事は、その読書会の主催者さんに断りなく書いています。

そのため「とあるオンライン読書会」と名称を伏せていますが、本音では、具体的に名前を出して宣伝したいほど、ですね。

 

ちなみに、無料参加の読書会です。

 

いろいろな事情で、大学や大学院などへ進学できない方もいらっしゃると思いますが、こんなふうに、学びの場は、自分の視野が開さえすれば、出会えるものです。

 

みなさんが、ぜひぜひ、自分らしく、未来につながる、学びを深められることを、思い浮かべながら、筆を措きますね。

はじめまして、dojoKです。

 

久しぶりに、blogを再開することにしよう、とこの投稿文を書いています。

 

これまで、アメブロをはじめ、いろいろなブログサービスに取り組んでみて、大体平均半年くらい?で放置、を繰り返してきましたね笑。

 

今回は、そのようなことがないよう、のびのびと、まったりと、自由自在に、好き勝手に、記事を書いていこう、と思っております。

 

blogのテーマは、「未来を切り拓く」とでもしておきましょうか。

 

自分自身、日々、新しいことに、興味赴くまま、真剣に、誠実に取り組み、その過程を定点観測的に、ご報告することで、一人でも多くの方の、未来開拓のエネルギー源とならんことを、願っています。

 

ちなみに、新興宗教とか、カルトとか、ネットワークビジネスとか、そういうんじゃないですからね笑。

 

まあ、認知科学とか、気功&武術とか、ヨーガ&呼吸法とか、コーチングとか、は勉強している人間なので、一見不思議なことも書くかもしれませんが、まあ、気楽に読んでいただければ。

 

それでは、明日以降、ぽちぽち書いていきますので、どうぞよろしくお願いいたします!!

 

 

 

 

「dojoKの簡易プロフィール」

1993年広島生。

不登校&通信制高校を経て、同志社大学文学部哲学科卒。

福祉職などを転々と。

太極拳、意拳、形意拳、気功、ハタ・ヨーガ、苫米地式コーチングなどをそれぞれ3〜7年くらい学習中。

2019年度上半期苫米地アカデミー受講。

知能指数130~160ほど(テストによって結果が異なる。ただし、どれもsd15)。

自閉症スペクトラム。

 

まあ、もっとだらだらかけるのですが、そーいう、だらだら系は、また今度、気が向いた時にでも。