秋葉原の無差別殺傷事件の犯人も似てたね… 。
こうした事件を起こすひとの理由はだいたいこれなのか…。
うまくいかないのは誰のせいでもない
誰だっていつもうまくいってるわけじゃない
うまくいかないことは誰にでもある
こんなことを例え話しても言っても
こうした人は"理解しようとしない"ひとだと私は思っています。
勝手な偏見なのかもしれませんが、秋葉原の事件の犯人の番組を少し前にテレビ観たんだけど、そのときに事件を起こすまでの犯人のことを知ったの。無差別殺傷事件の衝撃と酷さは連日のニュースで知ってはいたけど、25歳の若い男性が起こしたことだったことも大きな衝撃だったけど、なによりあまりの身勝手な不幸感に愕然としたからです。
他人のことなど関係ない。
自分がどうなのかが大事なだけ。
そんな自己中な感覚で生きていたように思ったし、今回もそんな印象を受けた。
仕事が思うようにはいかない
家族や友人関係がスムーズにいかない
頑張ろうとしてもうまく頑張れない
私たちは様々な悩みごとと常に生きてるわけで
誰でも大なり小なりあるのが悩みや思い。
"誰だって"です。
けれど、こう言う方向に考えるひと、つまり犯人となる人たちと私たちが違うのは、うまくいかない物ごとよりも自身にこそ問題や原因があるんじゃないのかなと思う。
思い通りにぬらないと気に入らないのか、うまく行かないことにばかりこだわり、その理由に向き合わず、自己中な考えかたや何でも誰かのせいにしていないか。勝手に挫折し孤立し孤独に苛立っているんじゃないかな…って。
そこを話せる場所や存在は大きいけど、きっとそれがうまくできずに孤立してしまってたんじゃないか。
秋葉原の無差別殺傷事件のようにネットばかりに依存する人もトラブルを抱えがち。
実際の「つながり」という、人との付き合いかた、関係性をうまく築けない自身に問題を抱えていたんじゃないかなって。
話ができる窓口やアドバイスをもらえる場所などがあればいいのか…。
あれば防げたのか、どうなんだろう…。
そうしたものを彼や彼らは求めただろうか
とても疑問に感じるところです。
「人を殺すジョーカーにあこがれていた。
犯行の勝負服として購入した」
などと話している。
自分では死ねないと判断して、人の手を借りて死刑を望む、関係ない人たちを傷つける行為に躊躇いもなく平気な様子、この日の衣装まで揃えて事件を起こすことを楽しんでるようにも思えた。
どこまでも犯人の発想には現実世界と浮世離れしたような、ゲームと勘違いしているのか、幼稚性を感じるところがありました。
どうして懸命に生きてる人たちに刃をむけられるんだろう…。それも躊躇うこともなく。
警視庁によると、京王線刺傷事件で逮捕された男は「計画通りできず、殺せなくて悔しい」とも供述している。謝罪の言葉はないという。
こうした人が少なくとも"いる"という事実を知って、社会的な受け皿を用意したとして、こうした事件を今後は防ぐことができるのか…。
彼らの問題に対して必要としてるものが何なのか、何が必要なのか…。
彼らとの違い。
すでにその理解すら難しいのに
防ぐことなど、とても難しいことに思えます。
この場に居合わせた方々の心、怪我をされた方や重体の方の回復を心より願っています。
Lovely days CHIKA'S MIND TRIP