今野
そこに愛はあるんか?

このCMが好きです。
大地真央さんの変わらぬ美貌に本物の魔女を見てるような気持ちとユーモラスな一面が最高です。
なにより
この一言のメッセージが私は好きなんです。

そこに愛はあるのか・・・

誰にでも何事にも大切なメッセージですよね。





私は常にこう思ってるんです。
ボランティアも、一人の飼い主であるって。
特別なんかじゃない、飼い主なんだと。
私たちと同じ飼い主です。

だけど
「適切な環境で適正な飼育ができる飼い主」

これは
「誰でも」でもなく「誰にでも」そんな容易なんかではないのです。

さらに多頭飼育となれば
経験されてる方はわかるはず。

たいへんなことです。
綺麗事などいいません。
可愛いだけではないことだってあります。
愛だって余裕がなくなれば・・・です。

保護活動ってなんでしょうね。

ベテランボランティアという言葉がブログのなかにあったけれど、ほんとにベテランなんてあるんでしょうか?

何十年
犬と暮らしてきていても
一頭一頭とのストーリーやドラマは違います。
何十頭という犬たちと生き暮らせてきただけの私でさえも思ってるんです。
いつも思うけど、一頭も同じなんてない。
いつもいつも犬たちに学ぶのはそこなんです。
ボクをみて
私をみて
ボクに触れて
私に触れて
一頭一頭と向き合ってよく観察してなければ
本当にその子を理解なんてしてあげれない。

多頭ともなれば
見過ごしてしまいがちなこともあります。
「前も」「前の子は」なんてものは
時に危険さえ伴うとさえ思っています。

犬のトイレや家の掃除
グルーミングなどの要領は身についても

そう、ベテランなんて言葉は
あってないものだと思うんです。

目の前の犬にとって
どの犬にとっても
何十頭いようが彼ら一頭一頭にとって
私たちは、たった一人の飼い主でしかないから。

これって大切なことだと思います。

保護という活動は尊く必要とする現実でもあるけれど、その活動ができる人は・・・
犬にとって生きるために必要とするパートナーの飼い主になれるひとなのでしょうか。

支援することもまた他人任せで
ここも疑問です。

応援もする
非難もする

からです。

最初に書いたように
保護も飼育
ボランティアも飼い主

特別なんかじゃない
特別にしちゃダメです

神様なんて、馬鹿馬鹿しい。。。

支援を必要とする保護活動の現状でもあるけれど、支援する側にも関わった以上はそこへの責任が生じてるわけです。

どこまでいってもいつも疑問が伴う。

今日のブログに答えはありません。

あるとするなら
犬や猫や様々な動物をペットとしていっしょに暮らす生き方を選び、飼い主となった私たちが彼らの一生を最高のものにできるように
一緒を添い遂げることだけだと思うんです。

犬も猫も、飼い主を選べません。
選ぶのは、私や皆さんの方です。 
その責任を忘れずに、ペットの一生の終わりの時まで愛情を持ってお世話をしてくださる方のみが、飼い主となる選択を検討をして下さい。
Lovely days  CHIKA'S MIND TRIP