廻さんが旅立った。
音楽劇「わが町」、音楽劇「母さん」、音楽劇「人形の家」。
俳優座劇場プロデュース音楽劇シリーズでいつも一緒に公演し、旅した演出部めぐりさん。
仕事ができて、知識が深く、インテリで、ユーモアがあって、ずーっと奥さんにラブラブのめぐりさん。


これはわが町の旅で、長野県の上田で、スタッフは朝の仕込みで忙しいのに、みんなで撮りたいよぉ〜って麻乃佳世ちゃんと言ったら、即集まってくれた。一番上の母さんツアーの写真から遡ること5年前。たしかこの頃、ご結婚されたのではなかったかな、めぐりさんと洋美さん。

岡山でのBBQ、めぐりさんのスペアリブがあまりにも美味しくて、旅の終わりの粉河でのBBQでは、私がめぐりスペアリブを真似して漬け込んだんだった。

人形の家のツアー、10月の半ば頃、あと少しだけの旅を残して、治療のために帰京した。
旅の最初に、全員でラジオ体操やろう!と提案して、スタッフキャストみんなでやったラジオ体操。
めぐりさんが、
「土居さん、ラジオ体操やったら、回り難かった肩が、ほら、スルスル回るようになったよ。ラジオ体操って、すごいねえ!」って。
嬉しかったなあ!
毎日上手袖近くで体操やっていためぐりさんが、10月に入ってから、上手パイプイスに座って眺めているようになった。
どれだけ大きな不安を抱えながら、何も言わず、あの大変な仕事をしていたのだろうと思うと、胸が張り裂けそうだ。
ライブの仕事は、過酷である。
めぐりさんの大事なお仕事であった、ボーリング大会の馬名及び競馬新聞(笑)。
わが町の時も絶妙なネーミングで楽しませてくれた。
今回は、泉ーぬくんと一緒に考えてくれたのだけど、私の馬名は、ロストアイフォン!!🤣🤣
その理由は、どうぞこのブログを遡って、倉敷での記事を読んでいただくとわかります。

めぐりさんは、この大仕事をして、ボーリング大会には出場せず帰京して即治療に入ったの。
昨夜はお別れに、たくさんのたくさんの人が訪れていた。
中でも、桐朋学園演劇科の皆さんのつながりの強さも感じた。
あ〜あ!
めぐりさん、やっぱりまだ私、
納得いかないよ!
絶対復活してくれると思ってたもん。
また、ツアー一緒に行けるって思ってたもん。
行ってらっしゃいって、
やっぱりまだ言えないよ。