この写真は、松江の病院の8階の食堂。
とても気持ちよくてステキなところで、眺めも良く、由美ちゃんお気に入りの場所だった。
去年の2月。1年前だ。
とっても体調が良くて、この時は確か、完治したらどうやって暮らしていこう問題を2人で考えていた。痛み止めも少ない時で、毎日いろんな映画を観ていたとき。その前の年の初夏に、突然電話がかかってきて、「ゆうちゃん、私ね!ガンになっちゃった!」といきなり聞こえた時は目の前が真っ暗になってすぐに(由美子が死んじゃう!)ってうろたえていたのがウソみたいなほどしっかりした由美子だった。
映画を観ながら、こんなことを言った。
「ゆうちゃん、生きる力ってね、笑うこと。これはすごいね。でもそれにも増してすごいのは、
感動することなんだよ。」と。
私はすでに、もう歩けない体で車椅子のままピアノで弾き語っている由美子に、その歌声に強く感動していたので大きくうなずいた。




由美ちゃんに感動したお話。
音楽座時代、一緒にご飯食べてたり、しゃべってたりしてるときに必ず所構わず電話しに行ってた。(この頃はケータイありませんσ^_^;)その時
私は、自分の話が盛り上がってたときだったりしたので、「もー、自分勝手なんだからー💢」とプリプリして、電話している由美ちゃんのそばを通ってトイレに行った。
その時、
「とにかく、ムリしないで、病院に行ってね」みたいなことを島根弁で言ってる声が聞こえた。

由美子は早くにお母様を亡くされていた。
松江の実家には、おばあちゃんと、由美ちゃんのお父さんが住んでいらして、高齢のおばあちゃんが、日々の食事や洗濯など家事をなさって支えてたらしい。そのおばあちゃんに、毎日、ほんとに毎日毎日欠かさず電話をかけていたのだ。
そんなステキなコトをしてるのに、まったく言わないから、人によっては、由美ちゃんて勝手ね、とか、気分屋ね。とかいう人までいたくらい。そんな風だったから、時には誤解されてしまうこともよくあったのだ。
でも、
その時聞いた由美子の島根弁と、その内容が、由美子の本当なんだとわかったときに、私は彼女を絶対的に信頼するようになった。
そして、
大好きになった!



由美ちゃんの千歳船橋に住んでた頃のお部屋へ行ったとき、
まず目に付いたのが、小さなお位牌。
綺麗なお位牌だった。
お母様への毎日の供養を忘れずに、きちんとやっていた。
58歳で亡くなったからねえ…。と。
もうすぐ58歳というときに入院した由美ちゃん、
お母さんが大好きだった由美ちゃん、そんなところまでマネしないでほしかったよ。ほんとに。
そう…
星王子をやってたとき、私が疲れきって元気がないとき、ただ何も言わずそばにいてくれた。いや、そばに居た!
まるでネコのように。

あの美貌なので、それはそれはモテてた!
かの世界的に有名な、ミュージカルの作曲家からかかってきた電話をそばで聞いたこともある!

馴染みのお店に行って、カウンターで、私が由美ちゃんの彼氏の話をしようとしたら、ゆーつぁ〜ん!(由美ちゃん、私をこんな風に呼びます)と膝をつねられた!
それで、なんでこのマスターが毎回お肉をオマケしてくれてるのかがわかった笑。
オンナノブキは使わにゃ損損!と思った瞬間だった!
由美子がワインでちょっといい気分でしゃべりまくってる間に、そのお肉、私が全部失敬してましたけどね笑。

ああ、思い出は尽きない。
由美子がこっちにいる時は、私だけのプライベートな思い出だったけど、もうあっちの世界にいってしまったから、私の思い出も、由美子を愛してくれているみんなの思い出にしたいから。
読んでくれてありがとうございます。

本人が生前選んで、最後まで付き添ってくれた岡崎奈津子ちゃんに託した一枚です。
初演のゴースト 入江ユキ。
遺影です。
葬儀が始まった。