私に確かに才能はあったが、悲惨、極まりない過去を持っていた。
私に親はいたが、小三での知らない土地への引っ越し。
これは、ここで倒れたら、誰が助けてくれるんだろう?というだけでなく、アイデンティティーの喪失。故郷の喪失。をもたらし、それだけではない。私の京都弁コンファレンスは、絶大、異常を極め、中高と誰ともしゃべれず、ミエベンがかたれだしたのは、30を過ぎてからで、女友達ができはじめたのは、それからだ。
悲惨なのは、悲惨だ。思想的歪みと共に、県下一の高校に入ったが、麦飯と四畳半に男が四人、寝る生活を二年半した。
普通の高校生は、殴られても、帰る家があるだろうが、殴られても、蹴られても、帰るのは、四畳半に男が四人住む寮だった。
15の僕は、白子の道端で五人
の中学生に殴るけるの暴行を受け、歯を折られた。歯を折られるということが、どれだけの屈辱か。私は、高校で冬場は毎日16キロ走らされて、妄想が、出るほど、それはきつかったが、歯を折られた時に、おった人を訴えるか、どうかは妄想が出るほど走るより、えらいと言ってよく、私の悲惨さは、より悲惨を極めていった。
その厳しい高校は、有機化学で赤点を取った私に二年を二回やらした。
厳しい寮での三年目。
17の僕は、鼻の手術により、高校を辞めた。
悲惨と言葉で言うのは、簡単だが、悲惨惨憺たる目は、肺炎になるまで、僕を走らし、肺炎になるまで走るより、歯を折られるのは、辛く、鼻の手術という部分麻酔による手術は、肺炎になるまで走るより、歯を折られるより辛かった。
私の劣悪たる宿命は、まだまだ続いた。
ただ、兵隊さんの気持ちは、わかったし、日本あってこその命なのだと、心底思った。
その後、18の僕は、親元離れた滋賀県大津で、4ヶ月過ごした。
それは、生活保護のサンブンノイチのツキ五万という暮らしで、生活保護は知らなかったが、五万で、学費、ふろはアパートになく、銭湯代、家賃、電気ガス水道代、食費、全部出していた。
当事、カップラーメンは、高く買えなかった。五袋いりのインスタントラーメンに入れる卵も、買えなかった。普通の人なら、死んでいただろう。
金より、無くすと怖いのは、自信だ。自信をなくすこと。それは、何よりも辛い。修行僧というのは、自信も命もなくさないが、国のために戦った兵隊さんは、命をなくした。
バカに聞こえるかも、知れないが、ここまで苦労すると経済活動が行えるのも、命があるのも日本あってこそで、何でも二の次になるし、怖いものは、私になく、
否、大津からかえってきた時の心境は、ボットン便所にウジ虫とらんちゅうの沸くに似ていて、
原始音楽論は、書いたかあまりの辛さに覚えていない。
