作文というものは、ある程度、誰にでもでき、高度なのは、ともかく、作文を書いた人は、多いだろう!
しかし、作曲となると、誰にもは出来ず、天才的な芸当のある人のするものだと、一般的に思われているし、実際にそうで、大変な感性が要り、実は、勉強も必要だ。
和声、音階、はポップスにも必要で、クラシックとなると管弦楽法の勉強も、必要だ。
例えば、石原裕次郎の音楽は、ほとんど、お経や三味線と同じ、
5オン音階で、勉強しても、それが、聞き分けられない人も多い。
ちなみに演歌も、今時のは、非常に7オン音階が多い。
私は、音楽のたしなみのあった金田一春彦という国語学者が、
関東けんの人なのに、きれいな関西弁の発音が出来てたことだ。
ちなみに、イントネーションは、2オン音階で、そこまで勉強できてる人は、博士号を持ってる人でも、まずいない。
前置きは、これくらいにして、ショスタコービッチという作曲かが、反体制ながら、たいへん強い人で、どんな苦難にも負けず、作曲を続けたことだ。
天才的な感性を持ちながら、強いことは、注目に値する。
実際、私が医者にも、親にも、反対された子をうめたのは、シューマンという作曲かが、、結婚を反対され、裁判により、結婚したという知識によるところが大きい。
満里奈。
お前は、シューマンがいなかったら、この世にせいを受けていなかった。
しかも、お父さんは、命を懸けた。
死ななかったよ!
満里奈。
作曲かで、いうならベートーベンの運命の最終楽章は、終わりそうで終わらない。
眉間にシワだらけの一生どうていにちかい、この禁欲な作曲かの不死性への憧れ
子を残せないなら、せめて名を残したい。
正への執念を感じる。
このベートーベンのだいくなども、ききおわると、セックスしたくらい疲れる。
ベートーベンの音楽は、性への執念生への執念が結実している。
最後に、クラシックは、立身出世、成功者が立派という常識だった時代の音楽で、ロック、ジャズ、ポップスのような音楽としがあるない以外にも、曲調が、何か違うでしょう?
実は、ロック、ジャズ、ポップスには、クラシックにない和声進行があるのであって、そのひねくれた和声進行には、成功者を妬む、立身出世をよしとしない、哲学でいうと虚無主義のような虚しさを感じるし、クラシックでない音楽は、恋愛によるもつれ、失恋自殺、正当でない近代化による人間のねじれのようなものがあり
案の定、人類は
世界対戦と冷たい世紀に入った
