きれいじゃなくても
間違ってても
金は、金だ、
きれいじゃなくても間違ってても金は、金だ。
あぶく銭でも、はした金でも、借りた金でもいい。
いや、借りた金は悪いものではないか?
借りたのは、悪いが
金はいいものだ
その逆転がおもしろいのだ。口では、何とでも、言えるものだが、
きれいごとでもなく、哲学では、説明できる
ブログも、言葉な以上口で言っているのと同じだ。
まず、私は嫁の父親に金をもらっていた頃、
ひどいことを言われ、
要らんこと言うてきはる
と会社で言うと
そら、かわいい娘やもん
と言われたし、ひどいことを言われ、とかいたが、そら、かわいい娘だから、当然なのかも知れない。
私は、そんなこと言われるくらいなら、とたびたびのお金を上げる、という電話に断るのも、たいへんだっ
たが、とうとう
お父さんは、お金が全てと思ってはるんですね!
と言ってしまった。
すると、お金は二の次ですわな。ときれいごとを言われた。
きれい汚ないは、美的判断だが、それより上の判断は、価値判断で、
いい悪いの判断だ。
その間に
正しい間違ってるの事実判断は、あるが
いい悪いの価値判断は、最上位で、
しかも、お金は哲学で
交換価値で、ええ悪いと交換できるとする。
お金が多いと価値だし、
価値とは
健康
努力
家族
ええ気分
全て価値だし、お金は、それらと交換できるというのだ。
きれいじゃなくても
間違っててても
汚くても、正しくても金は金で、ええ悪いと交換でき、
僕は、金があったで結婚できたし、金があったで独立出来た。
金は、血肉。
博士号の知識も、金にならな何にもなく
宗教家は、金を出してまで、着いてくる信者がいるのだ。
金中心に書いてみました。
