歴史のことば劇場34

勅使発遣に始まり、立皇嗣宣明の儀と壺切御剣の親授が儀礼のクライマックスであったように、
皇嗣は天皇陛下のお言葉にしたがって正式に誕生する
という次第となっていました。
こうした「宣明」という内外への宣言によって
壺切御剣が授与されるというのは、古来の譲位でも、
「宣命」の宣布に従って「新帝」となり、神器が渡御されるのと同様の構造であって、
また譲位の場合、立太子は譲位の宣命の中に「載せ加える」のが「恒制」でした(柱史抄)。
宣命を中核とする王朝儀礼には、平安期の儀式書によれば、
①賜禄・宴(節会、御斎会、季禄等)②叙位(大嘗会、成選位記等)➂任官(大臣、摂関、僧綱、郡司、出雲・紀伊国造)④身分の変更(譲位、即位、立后、立太子、将軍節刀、弔喪)等
がありました(古瀬奈津子)。
つまり、譲位や即位、大嘗会、立后、立太子といった、皇位に関する儀礼を頂点にして、
官位の授与のみならず、大陸由来の儀礼、軍事、仏事にいたるまで、
あらゆる多種多様で、制度的な秩序や価値が、天皇の宣命にしたがって統合化されていました。
また、古代律令の最上位の法は、
「明神と御宇日本の天皇が詔旨(おほみこと)らまと云々、咸聞」(公式令詔書式条)との、
天上の神々の子孫である天皇による宣命体(音声命令の文体)で発せられ、
法にあたる日本語は「のり」しかなく(令や式などの漢字も同じ)、
「のり」とは天皇の本質に関わる(大津透)といわれます。
いっぽう、中国由来の律令法には
「非常の断、人主これを専らにす」(名例律疏)との基本理念もあり、
皇帝はあくまで専断し、臣下のように法の下には置かれず、
いわば法を超越する絶対的存在とされました。
ところが、
平安期の『貞観格(じょうがんきゃく)』(869)の序には、
「君、百姓と之を共にす。君、之を上に失ふべからず。臣、之を下に違ふべからず」とあり、
天皇は律令法の本来の原則では、中華皇帝と同じく法を超える存在のはずなのに、
実際の施行法令では、官人・百姓(公民)と法を共有すべき存在とされました。
宣命とは「天皇の言葉をそのままのかたちで拝聴できる手段」「天皇の生の言葉」(春名宏昭)としての法であり、
公民と「法を共有する」との秩序は、
「みこと(=天皇の言葉)のり」の全国の公民・全官人への宣布、
朝廷儀礼の「宣命」による多種多様な価値や制度の統合化とともにもたらされたと考えられます。
モンテスキューは、「法の支配」はもっぱら君主政治にあり、
共和国にはそれがないと考えていたといい(M・オークショット)、
E・バークは、権利章典の場合に見えるように、
国民が権利と自由を有することは、王位の継承と一緒に表明されるのであり、
世襲王制が異質な諸身分の集合体に統一を与える
と述べました。
彼らの論理に従うならば、
継続や継承こそが、国民の自由や権利、多様性の淵源なのであり、
歴史的な皇位継承と法の支配、立憲主義との自然法的な人類共通の文明とは、
けっして相反せず、関連性がありました。
じっさい令和の新時代も、
譲位、即位のお言葉、立皇嗣の「宣明」という
“みことのり”の歴史伝統の地平とともに、
「国民と苦楽を共にする」との現代の国民統合、すなわち社会的価値の体系の総体は、
むしろ維持され、さらに進展する
と考えられるのではないでしょうか。








