Aは、美術史の某先生から中国絵画の個人講義を受けていたが、
あるとき、南宋の毛松筆の重要文化財「猿図」(12世紀)を見せられた。
しかし、Aは即座に
「これは日本猿」と見破った。
返答に窮した某先生は、動物学者に相談したが、答えは同じ、
中国に生息しない日本猿と追認した。
けれども、
そもそも狩野探幽以来、
毛松作と極められた名画だから、
斯界の権威が寄って鳩首協議し、
結局、日本からモデルの猿を送って毛松に描いてもらった
との迷回答で「統一」した。
A「…と云ふ説明を貰つたんだけどね。考へられるかね。徳川はどう思ふね」
徳川「うーん」
しかし、今でも「伝毛松筆」として東博に展示され、教科書や事典にもしっかり記されている……
「因みにAとは、皇太子殿下である」(徳川『迷惑仕り候』昭和63)。
もちろん現在の上皇陛下のことです。
徳川はおそらく
斯界の権威主義やご都合主義を揶揄したようですが、
思えば、先年、
譲位の御意向が示された際も、
政府関係者は鳩首協議して
「譲位」ではなく「退位」に統一しました。
また識者たちは保守派からリベラルにいたるまで
譲位のご意向に対してこぞって批判的で、
内閣法制局は「天皇の意思に基づく退位は…憲法4条に抵触しないか…」(平成29)といい、
朝日新聞は政府筋の話として
「天皇自らが皇位を譲った『譲位』の過去の事例は参考にならない」(同10/20)とまで報じました。
徳川ならずとも「うーん」と唸ってしまいますが、
夙に平成5年、陛下は
「長い歴史を通じて…苦しみあるいは喜びを国民と心を一にし、国民の福祉と幸福を念ずるというのが日本の伝統的天皇の姿でした…
…国政に関与せず、内閣の助言と承認により国事行為を行う、と規定しているのは、このような伝統を通じてのもの」と、
憲法の条規を古来の歴史の伝統上に明確に位置づけた。
また、被災地訪問や官僚、政治家等と接する機会を増やし、
「形式よりも実質を重んじ務めを果たす」姿勢(岩井克己)を示された。
おおかたの憲法学者と異なり「象徴」とは伝統を継承すると考える論者は、
ノモス主権論の尾高朝男、尾高の盟友の清宮四郎もいますが、
しかしそれらも「嵯峨天皇以来の天皇の写経の精神」(昭和61)との例を挙げるほど明快な説とは言えません。
また清宮は、
天皇には憲法上の国事行為のほか「象徴としての地位」の行為も認められるとの合憲説を示し、
この清宮の説は、現行の通説であるのみならず、上皇陛下の考え方に影響を与えた(石川健治)とされますが、
じつは、この清宮の象徴的行為説も、
昭和27年1月22日、サンフランシスコ講和条約批准後の国会開会式での昭和天皇によるお言葉に関わるもので、
天皇が「平和条約については、すでに国会の承認を経て、批准を終り、効力の発生を待つばかりとなったことは、諸君とともに喜びに堪えません。…
わたくしは、全国民の諸君が、六年余の長きにわたり、わが国に寄せられた連合諸国の好意と援助に対する感謝の念を新たにしつつ、新日本建設の抱負と誇りをもって、今後の多くの困難を克服する不動の決意をさらに固めることを望むものであります。…」
と述べた内容を、清宮が、
これを違憲とか政治的だとか対米追従とかと見なす多数の批判を斥け、
天皇のお言葉は、象徴としての地位にもとづく行為として「合憲」と解したものでした。
こうした「象徴」的行為説であれ、
あるいは「象徴」伝統継承説であれ、
もとより天皇の意思と行為に発するものであり、
いずれも「形式よりも実質を重んじる」天皇の意思と行為に導かれていたもの
と考えられます。
また、昨年の即位礼正殿の儀でも、
天皇陛下は上皇陛下の「御心」「お姿」に深い敬意を表されました。
徳川は上記の著作で、自身の琉球工藝の研究についても、
「Aから自分の気づいてゐなかった研究態度の基礎的な歪みを指摘され」、
研究の「基礎を定置させた重大な指摘だった」と大いに反省しています。
はたして、上記の猿図の「迷回答」とは違って、
「象徴」または「象徴としての行為」に関しては、
天皇の決然たる意思と行為に従って憲法解釈の「基礎的な歪み」が正され、
「象徴」は古来の歴史伝統の上に「定置」し直された。
それが現在そして将来へと受け継がれていくであろうことは、まず疑いのないところと思います。
ちなみに、近年、
尾高のノモス主権論への評価が高まるいっぽうで、
尾高の論敵・宮沢俊義の八月革命説への批判が強まっているのも、大局的に見れば、
上記の「天皇の意思と行為」により導かれた伝統継承的な傾向に従うもの
と考えて大きな誤りはないようです。
総じて言って、
憲法上の「象徴」を歴史伝統として明確に位置付けたのは、いったい誰なのか、
また誰がその「基礎的な歪み」を正し「定置」し直したのか、
さらに令和の新時代へ向けて何が受け継がれ、
誰の「意思と行為」によって、どのように継承されたのかは、
もはや誰の目にも明らかであり、
それは記憶しておくに値することではないでしょうか。










