そ歴史のことば劇場97


AIの偏見と「象徴」の本義(その2)


  天皇に関する「象徴」という語は、戦中から駐日大使グル―や国務省の知日派の間で使われ、

現憲法に記したプール海軍少尉とネルソン陸軍中尉は、バジョット『英国憲政論』を参照したといい、

AIの回答も同様の指摘があります。 


 「国民は党派をつくって対立しているが、君主はそれを超越している。君主は表面上、政務と無関係である。そしてこのために敵意をもたれたり、神聖さをけがされたりすることがなく、神秘性を保つことができるのである。

またこのため君主は、相争う党派を融合させることができ、教養が不足しているためにまだ象徴を必要とする者に対しては、目に見える統合の象徴となることができるのである」(英国憲政論)


 しかし、同書には「教養が不足しているため象徴を必要…」など君主制を軽視する表現が散見されます。

そのため、プールらが参照したのは1867年版のバジョットの原典ではなく1928年以後の「世界の古典」の普及版と思われ(中村政則)、

後者には英国外交官バルフォアの解説文が巻頭にあった。

プールは後年のインタビューで

「象徴」は1931年のウェストミンスター憲章によるものと答えており(鈴木昭典)、

バルフォアは同憲章の元となったバルフォア報告の代表者でした。

同憲章の前文には、

国王は「(英国連邦)構成国の自由な結合の象徴」とあり、

英国憲政論のバルフォアの巻頭文にも次のようにある(深瀬基寛訳)。

 英国の王制は、バジョットのいう民主的性格を隠すもの(「擬制(ぎせい)された共和国」)ではなく、かえってその性格を顕わにするものである。

「国王は一党派の指導者でもなく、一階級の代表者でもない。一国民の元首である―実は、多数の国民の元首である。彼は万民の王である」

「我が国王は、その皇統と職務により、我が国民の歴史の生きた代表者である」 

 要するに、国王とは元首であり、万民の王、自由と立憲主義の「歴史の生きた象徴」である。

このバルフォア流の君主論を参照したであろうプールは、

「象徴」とは「精神的な要素を含んだ高い地位」であり、「それは単なるお飾りであってはならない」

「天皇は、直接的には政治上の権限は持たないけれど、ある重要な役割を持った、国民に尊敬される立場にある」(鈴木)と、深い敬意を示した。

また立憲主義は、本来、

法による公権力の統制にとどまらず、憲法を超えた社会全体や個々の利益に妥当する政治道徳を持つ側面があります(長谷部恭男)。

高柳賢三によれば、GHQ民政局長ホイットニーは「声を張り上げ、天皇にはすべての尊厳(dignity)と名誉(honor)が与えられるべきである、しかし実際政治に介入することはしないというのが新憲法に関するマ元帥の考えだ」と述べた。

 こう考えていくと、

個々の多様性や世界観、自由を保障しながらも、対立矛盾や混沌を超えて社会の利益を実現する立憲主義、政治道徳性、あるいは自由の体系などの象徴が、

元首であり君主であり天皇である――

これらがバジョット、バルフォア、プールらの思考から窺える、英米法の本来の「象徴」の論理であろうと考えられます。(つづく)