歴史のことば劇場94 


邦画『テルマエ・ロマエ』がテレビで放送され、

原作者のヤマザキ・マリ氏によれば「温泉比較文化漫画がコンセプト」といいますが、

なぜか歴史上の日本の入浴については殆ど触れません。

たしかに、2世紀頃のローマ帝国には多数の公営・私営の浴場があり、貴族や市民、奴隷も安い料金で入浴できた。

しかし日本の銭湯は、鎌倉後期に始まり、17世紀に一般に広がった(武田勝蔵)。 

 けれども、西欧では

16世紀フランスで梅毒が流行し、公衆浴場は売春や病気の温床とされ、カトリック教会も古代ローマ風の快楽や退廃、疫病の元凶とした(歴史学事典2)。

太陽王ルイ14世も殆ど入浴せず、侍医によれば「生涯二度めにして最期となる入浴を処方するが、これも実現できず」

「王や王妃はいちばん貧しい小作農と同じくらいめったに風呂にはいらなかった」(K・アシェンバーグ)

 いっぽう、式亭三馬『浮世風呂』(1809)を見ると、「銭湯には五常(ごじょう)の道」つまり儒教の仁義礼智信の道徳があり、

先ず、湯をもって身体を温め、「病を治し草臥(くたびれ)を休むる」のが、医術に通じる「仁」の道である。次に「桶のお明(あけ)はござりませぬか」と聞き、「他(ひと)の桶には手をかけず」、個人の「留桶(とめおけ)を我儘に」使わず、空いたらすぐ桶をもどすのが「義」。湯の出入りには「御免なさい」「お早(はや)い、お先(さき)へ」「お静(しずか)に、お寛(ゆる)り」など一声かけるのが「礼」。

熱ければ「水をうめ」、ぬるければ「湯をうめ」、「背後(せなか)を流しあふ」のが「信」である(上記は山東京伝からの剽窃。新日本古典大系本)。

 また冒頭には

「銭湯ほど人倫への近道の教えはない。…賢愚、正邪、貧富、貴賎、湯を浴びる時は、皆、裸になるのは道理。お釈迦様も孔子様も於三(おさん)も権助(ごんすけ)も…欲と煩悩の垢を洗い清めれば、誰が誰やら同じ素っ裸。オギャアと生まれた産湯から、死ぬ時の湯灌(ゆかん)まで…猛(たけ)き武士(もののふ)も、頭に湯をかけられても、人混みだからと我慢する。目に見えぬ鬼神を刺青にするヤクザも、ご免なさいと遠慮する。これを銭湯の徳といわずして何であろう⋯」(口語訳)

 ここも古今集序や蓮如の御文などを下敷きにしたパロディ(戯作)ですが、

要するに、人間は果たして何を前にして平等といえるのか。神の前の平等か、法の下の平等か、はたまた人倫道徳の下の平等か。

いや、日本ではそうではない。「銭湯」の下の平等、「裸」の前の平等である。

福澤諭吉の「天は、人の上に人を造らず」より前に、滑稽本の「湯の下の平等」の思想があり、また儒教や仏教ではなく、庶民のマナーや公衆道徳として説かれた。

 A・スミス(1723~90)が近代自由主義の祖と呼ばれるのは、自由へ向かう道徳的な源泉は、キリスト教や神の絶対的啓示ではなく、普通の人間の経験によると論じたからでした(ジェリー・z・ミラー)。

その「内なる公平な観察者」、他者の立場に自らを置き、他者が世界を見るように自らも世界を見ることで、人は公平で、慈愛心を持って行動できることを、「湯の下の平等」の庶民の思想は、より一層、明瞭に示しているのではないでしょうか。