歴史のことば劇場100


 小林秀雄が敗戦直後に「諸君は悧巧だからたんと反省するがよい、私は馬鹿だから反省などしない」と放言し、戦後派から顰蹙を買ったのは有名ですが、
彼は『私の人生観』(昭和24)では、宮本武蔵の言葉を使って彼らを批判しました。
 小林が武蔵を「偉いと思ふのは…通念化した教養の助けを借りず…ある極めて普遍的な思想を、独特の工夫によって得るに至った」からだとし、
有名な「我れ事に於て後悔せず」の一節を引用しながら、
日本の先の敗戦を「封建主義の誤り」とするような「平均的知識で膨れ上がった頭脳」を批判しました。
デビュー作「様々なる意匠」(昭和4)でも、
印象主義も、マルクス主義も、写実主義も、新感覚派も、大衆文学も、要するにただの「意匠」にすぎないと一刀両断に切り捨てた。小林が心酔したボードレールも
「博愛家(フィアントロープ)、進歩派(プログレシスト)、功利派(ユテイリテール)、人道派(ユマニテール)、空想社会主義者(ユートピスト)ら、不易の人間の本性や社会構造の避けがたい配置に何らかの変化を企てる連中を心底から憎悪し…不易なるもの、永遠のもの、寸分たがわぬ同じものしか信じなかった」(ゴーティエ)
 親友・河上徹太郎によれば、
当時小林の中では「志賀直哉の感受性」と「科学的進歩主義の愚劣を…皮肉ったボードレールの夢とが、等しく嫌人性的である」ことによって同一化していた。
また小林の『私の人生観』でも、武蔵のいう「観(かん)の目鋭く、見(けん)の目弱く見るべし」を引用するが、
「観」とは「全体的に直覚」すること、「見」とはカテゴリカルな分析のことで、武蔵の「観の目」をかかげることで「近代的知性の堕落」や「末梢的な進歩」を斥けた。
「この(武蔵の)剣法が、小林のものの見方、又人生の本義といふところに結びついて来るところに、私(河上)は彼の批評的方法の本質を見る」と。
 小林自身、
「私達の共感の存するところ、古典は今なお生きている…(それが)生きるか生きぬかは、同じ私達の詩的共感の深浅による、詩人の持つ観の目の強弱による」と述べた。
これも「すべて現代的なものが、いつか古典的なものとなる価値をほんとうに得ること」(ベンヤミンのボードレール論)に通じており、
20世紀モダニズムの旗手T・S・エリオットは、
正統主義とは「現在生きている人間も、過去の人間も意見の一致を見るような、正統的な基準によって考えること」と論じました。
 小林が「どうにもならぬ新しさ、普遍性」を武蔵に見たというのは、
この「現代性(モデルニテ)」の正統主義を武蔵に見たということであり、
後に、小林の仕事は、仁斎、徂徠、宣長ら近世思想へと向かい、19世紀歴史哲学ばかりか近代文学・思想の次元も超えて「現在も、過去も、意見の一致を見る正統性」の探求に自らを賭けていきます。
小林による戦後批判や古典回帰とは、「不易、永遠、寸分たがわぬもの」を求める、世界的なモダニズムの本流に掉さす批評であり、
「現代が古典的価値を持つようになる」ための「根源の歴史」(ベンヤミン)の提示の試みだったといえます。
こうしたモダニズムを背景とする理解は、
小林の文藝批評を考えるには必要不可欠ですが、
なぜか今まで等閑に付されており、
これでは小林の作品全体はもちろん彼の戦後批判も理解できず、
またマルクス主義などを鋭く退けた小林の保守的な姿勢が、いぜん保守層においても理解されず、受け継がれていないのは、
そもそも世界的なモダニズムの潮流への理解が不足しているからではないでしょうか。