歴史のことば劇場96



 AIの偏見と「象徴」の本義(その1) 


 先日、必要があってAI(Microsoft Copilot)に

「憲法制定過程におけるGHQ側の元首と象徴に関する認識は」と質問すると、次のような首をかしげる回答が出ました。

 

 曰く「GHQの基本方針:天皇は『元首』ではなく『象徴』」、

マッカーサー三原則(昭和21年2月2日付)は「天皇は『元首』としての権能を有しない」「…『国家の象徴』として位置づける」、

「GHQは最初から『元首』概念を排除し、『象徴』概念を導入する方向で動いていた」云々。 

  しかし、

三原則の第一は「天皇は、国家の元首の地位にある(at the head of the State)。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるものとする」(邦訳)で、象徴の語はない。

マッカーサーは前月1月25日付アイゼンハワー宛て機密電報で「天皇は日本国民統合の象徴であり、天皇を排除するならば日本は瓦解する」として天皇の戦犯訴追を防いでおり、

元来「国民統合の象徴」は、1931年の新渡戸稲造の英文著作に出てきます(中村政則)。

これら「国民統合の象徴」が帝国憲法下の天皇の地位を指すことは言うまでもありません。

  また、田中英夫によれば「元首」としての天皇と、「象徴」としての天皇を二分したり、両者を異なる存在とするような考え方は、占領軍や憲法執筆者の間には存在しなかった。

 民政局のマッカーサーへの改憲案の説明(2/12)も「天皇制を修正し、儀礼的な元首(ceremonial head of the State)とすることによって、国民主権のもとで立憲君主制を樹立する」「天皇は、朕は国家なりということではなく、国の象徴となる。…国民の間の思想、希望、理念が融合して一体化するための核…尊敬の中心として存続はするが、太古からの邪悪な指導者によって国民を悪事に駆り立てるために利用されてきた、かの神秘的な権力は、永久に奪われる」云々。 

  マッカーサーも同2月21日、幣原首相と3時間も会見し、「日本案(松本案)との間に超ゆ可らざる溝ありとは信じない」「主権在民と明記したのは、従来の憲法が祖宗相承けて帝位に即かれるといふことから進んで国民の信頼に依つて位に居られるといふ趣意…かくすることが天皇の権威を高らしめる」などと「演説」した(芦田日記)。

  もちろん、三原則の「元首」は実権なき君主で、元首と訳すのはおかしいとする研究もあるが、「普通に元首の意味で使われた」(渡辺治)。

そもそも「立憲君主」が元首でなく象徴にすぎないとの思考は、論理的に無理があり、高柳賢三は、元首と憲法に書いてないから「象徴」を元首と考えないのは、当時まだ日本ではプロイセン=ドイツ法的な憲法学が強く、本来、英米法のアングロサクソン的な法律家により作成された憲法を、旧ドイツ解釈法の条文中心主義に従って解釈したためである。

「それらの解釈は、いわゆる”英文をドイツ文法で解釈する”ための誤った解釈」であり、英国が民主的な君主のモデルとされるのは「法の形式によるのではなくその運用にある」と批判した。 

  総じて「英文をドイツ文法で解釈」する過去の条文中心主義が、最新のAIまで波及し、著名な研究を無視し、奇妙な史料解釈となり、今も拡散され続けているようです。(つづく)