歴史のことば劇場87

蔦屋重三郎(1750~97)が主人公の大河ドラマが放映されていますが、
日本の出版(パブリッシング)は、江戸時代に現れた比較的に新しい産業でした。
それまでは、印刷(プリンティング)の文化はあっても、営利的な出版という事業は存在せず(今田洋三)、また、識字率の向上だけでは利益はあがらない。
出版は、各自が金銭を出して本を買うという文化的で、経済的な水準の幅広い層がない限り成立せず、
そこには今何が求められているのか、「潜在的購読者層」の欲求を鋭く見抜く「蔦重」のような天才的な先駆者の功績が大きかった。
彼の処女出版は「吉原細見(さいけん)」(※遊女や遊郭の紹介)のリニューアル本ですが、
当時、江戸の成年男子なら「吉原細見をみたことがない者はなかった…“細見を四書文選(ししょもんぜん)のあいに読み”」(同)である。
『南総里見八犬伝』の滝沢馬琴も、蔦重の「巧思妙算」には脱帽で、
「風流も無く文字もなけれど、世才人に捷(スグ)れ…当時の諸才子に愛顧せられ…皆、時好(じこう)にかなひしかば…毎春…一万部」、
時に「一万二三千部…抜出して別に袋入れにして又三四千部も売る」と褒め称えた。
日本の出版には江戸期の風俗産業の貢献も大きかったようですが、
一方で、井原西鶴『好色一代男』(1682)は、源氏物語をはじめ古典文学を意識した作品でした。
「和歌的」な源氏に対して、西鶴の「新しい恋の物語は、新しい散文詩的文章をもって飾る……大きな文学的野心の所産」(中村幸彦)であり、
西鶴の作品は、古典への深い理解や憧憬とともに、新しい時代の風俗模様を描くことで源氏を乗り越えようとした、新興の小説(ノヴェル)でした。
また、中世の徒然草が古典の名著として認識されるのは江戸期であり、
徒然草は写本・刊本をあわせ908点ほどが伝来するが、中世の写本は1%強にすぎず(横田冬彦)、大半は江戸期の刊本といわれます。
ロシア士官ゴロブニンの『日本幽囚記』には
「日本には読み書きできない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もいない…西欧各国には…偉大な数学者・天文学者・化学者・医学者などがいるが…しかし、これらの学者は国民を作るものではない…
国民全体をとるならば、日本人は西欧の下層階級より物事に関してすぐれた理解を持っている」
とある。
歴史学では、新聞や小説など多数の膨大な出版物や読者の出現とともに「想像の共同体」としての「国民」は成立する(B・アンダーソン)と考える傾向があります。しかし、日本の出版業は西欧近代化の影響をほとんど受けず、
また、源氏や徒然草などの古典籍のみならず、好色物、吉原細見などに見る風俗産業も「想像の共同体」あるいは「国民」の形成に影響した。
つまり、硬軟、上下、貧富などあらゆる階層の読者をつなげて「潜在的購買者層」を獲得し、育成する、この出版にともなう無数の人々の試行錯誤によって、我々「日本国民」は誕生した。
そして、その発展とともに多種多様でありながらも包括的で、統合的な「想像の共同体」としての「国民」文化は形成されたのではないでしょうか。
