歴史のことば劇場85
昨年、ノーベル平和賞が日本被団協に贈られましたが、かつて同賞を受賞し、非核三原則も表明した佐藤栄作は、
昭和39年12月、佐藤はライシャワー駐日大使と会談し、
同10月に文化大革命の最中に核実験を行った中国に対抗して「相手が核を持つならば自分で核を持つのは常識」とし、
翌正月に控えた日米首脳会談を前に、改憲の必要の認識を示します(中島信吾)。
しかしジョンソン大統領は、会談で日本の核武装に反対すると述べた上で、核に対しては米国が防衛する意思を伝えると、佐藤は「それこそ聞きたかったこと」(黒崎輝)と応じ、
日米共同声明では「沖縄の施政権のできるだけ早い時期の返還」との日本側の要望を表明することに成功した。
佐藤の意図は「核の傘」に関わる米国側の懸念を利用した返還交渉の開始にあったようで、
同7月のライシャワーによるラスク国務長官への書簡を契機に、米政府で沖縄政策の本格的な見直しが始まります。
42年秋、スナイダー同省日本課長を中心にしたグループは、返還後の基地機能について、影響があるのは核兵器貯蔵とB52の自由発進の二点にすぎず、それは日本のアジア防衛への積極姿勢で補えるとする第二次報告書を出した(細谷千博)。
ライシャワーの後任のジョンソン大使によれば、「中国や北朝鮮が侵略的行動に出なかった」のは米軍が沖縄の基地から核兵器および通常兵器を使用する「自由な行動」が可能だったからだ。
「実のところ、沖縄問題でプレッシャーが高まったことは形を変えた天の恵みであった。お陰で日米双方がどうしても長期的な視野に立たざるを得なくなった…日本自身が沖縄を防衛する義務が生じ…我々が沖縄の基地から行動を取りたいと思ったときには、日本側は協議に応じなければならない…
佐藤は、よく政策スタッフに、冷戦による「現状凍結の平和」に対する疑念を述べ、「安全保障のないところに自由も平和もない」との信念を語った(千田恒)。
「この世界で最も貴重なものは自由である。自由の下においてこそ、政治的成功があり、経済的繁栄がある。我々は一歩も後退してはならないし、それ以上に、政治、経済、軍事のすべての面で、共産主義陣営より少しでも優位に立たなければならない。
バランス・オブ・パワーではなく、我々が少しでも優位に立つことが自由と平和を保つ道である」とのドゴールの言葉を肝に銘じていた。
佐藤の中では、沖縄返還も、日米同盟の強化、核密約、非核三原則も、「バランス・オブ・パワーではなく、優位に立つ」「一歩も後退してはならない」との「安全保障の下での自由」の信念のもと、実現に向かっていたと考えられ、






