歴史のことば劇場75 



 近年、「昭和歌謡」が世界的なブームだそうですが、その火付け役とされる韓国系ミュージシャンは、日本のテレビで

「西洋の歌は、ただ明るいだけ、楽しいだけの歌が多いが、昭和歌謡は明るいなかに哀しみや寂しさ、憂いや慎みがある。それが世界の若者の心をとらえた」との趣旨を語っていました。 

 これには多くの人が日本文化の「わび、さび」をイメージしたと思いますが、

侘茶の創始者・村田珠光は「月も雲間のなきはいやにて候」との警句を残したといいます。

 煌々たる満月にも、いささかの雲のかげりがなくてはならず、あからさまな美は嫌味だ。

 また、我執を捨てよ、自分の趣味や主張にこだわる姿勢を捨てよ。わびだ、さびだと、渋い茶器ばかりでなく「和漢の境をまぎらかすこと」、豪華な唐物だけでも、わび、さびだけでもいけない。そして「月」である平安王朝の美、その理想化された美に、やはり「雲間」をかけることで新しい美をつくり出した(山崎正和)といえるようです。 

  また有名な定家の「見わたせば花も紅葉(もみじ)もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ」の歌も、単純に花も紅葉もないという意味ではない。

 実在しないならわざわざ「ない」という必要はない。「ない」と否定しながらも、花と紅葉のイメージが残る。そこに生まれる効果は、ちょうど満月に雲の影をかけたのと似ています。

 薄暗い苫屋自体が美しいのではない。後ろに想像される花や紅葉があり、前に秋の夕暮れが現れるダブル・イメージ(山崎)、つまり、理想の光と現実の影が微妙に重なり合い、光はいよいよ渋い輝きを増し、影はより濃淡を増す、その姿が美しい。

  この普遍的な価値を背景とした自由な独創性、古来の理想を念頭にした現実の理解は、日本文化の特徴だけでなく、日本の近代化のあり方にも重なります。

 西欧では宗教戦争の後のウェストファリア条約(1648)により、宗教が政治や軍事と直接関係しない流れがつくられ、啓蒙思想の社会契約や人権思想などが案出されます。

 しかし明治維新では、そうした古来の宗教や伝統の否定ではなく、むしろ天皇や朝廷、神道との最古の権威に従って近代国家や社会が形成された面があります。

  幕末の志士たちは、この「復古維新」の実現に生命を賭けたのであり、

例えば松方正義は、廃藩置県を提唱した一人で、大久保利通からこれが鹿児島に聞こえたら命はないと注意された急進派(室山義正)でした。けれども、明治天皇への提言書では、古代の租庸調や中世の惣検地を掲げ古来の制度や智恵を活かす構想を説くなど、松方の進めた近代経済・財政が、彼の言う「国体」にもとづく歴史的アプローチを基軸にした民間主導の自由経済の確立であったことは明らかです。

  ハイエクは、近代の絶対主義により破壊された中世以来の「法の支配」の優越性について、英国では他国よりも維持されたがゆえに「自由」の発展を世界の先頭に立って開始できたと述べました。

 日本もまた古来の理想が「維持」され、普遍的な価値の上に「自由な創造性」を発揮することによって「世界の先頭に立つ」ような重要な役割を果たしてきたのではないでしょうか。