自由・平等は、歴史伝統にもとづく
お雇い外国人グリフィスは、著書『ミカド』において、
幕末の松平春嶽と横井小楠の関係を、米国初代大統領ワシントンと副官ハミルトンの関係になぞらえ、
小楠が京都の新政府の会議で、信教の自由のみならず、被差別民の解放を求めたことに注目しました。
また、解放令(明治4)を出した明治天皇をリンカーンに比すべき「偉大な解放者」とも記しています。
いわゆる解放令へと向かう動向は、
現在の研究史上でも、五箇条の御誓文に始まるとされ、
戦前期の差別融和・撤廃運動は、
御誓文になかの「旧来ノ陋習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クヘシ」、
教育勅語の「拳々服庸シテ咸(みな)其徳ヲ一ニ…」
の一節に原理をもとめていました(近代庶民生活誌11)。
さらに、明治二年の諸藩の建議には
「穢多団衆ト雖(いえども)、斉(ひと)シク皇国ノ人民ナレバ…」と、
皇民としての平等の主張があり(尾佐竹猛)、
すでに幕末の皮多由来書(河原巻物)は
「原先日本之人民皆神統にあらざるなし…其の執(と)る所の業により、稍貴賤の差等あるのみ」と、
神の末裔としての平等原理を掲げました(脇田修)。
被差別民もまた同じく神統とする賤民神裔説は、
思想的には、古く「神国」思想の万民神胤説に由来すると思われ、
万民神胤説は「和光同塵(」、神仏習合・本地垂迹の一視同仁に始まります(柴田実)。
鎌倉期の『沙石集』は
「我朝ハ神国トシテ大権アトヲ垂レ給フ。我等ミナ彼孫裔ナリ」とし、
『神皇正統記』は
「人の心機(動機)も品々なれば…教法も無尽…諸教を捨てず、機を漏さず得益を弘め」よと、
諸宗平等の宗教的な寛容を説きました(神田千里)。
またそれは
「人は即ち天下の神物なり…此国は神国なれば、神道に違ひては一日も日月を戴くまじき」といった、
人民はみな神のものであり、権力者は神仏に従うべし、
とする神国思想から来るものでした。
ザビエルは、
日本では「各人が自分の意思に従って望むところの教義」を選び、他宗に改宗させることはないと、
信教の自由について指摘しており(神田)、
元禄に来日したケンペルは
「各人の思いのままに信仰する神を崇める自由が与えられ…道義の実践、敬神の務め、清浄な生活、心の修養、罪業の懺悔、永遠の幸福祈願等については…キリスト教徒以上に熱心」と、
キリスト教の禁教の下で「自由」で多様な信仰形態が守られていると述べました。
このため、グリフィスがワシントンやリンカーンに匹敵する世界的な偉業と称えた
明治の解放令や信教の自由は、
じつは西欧人権思想というよりも、
五箇条の御誓文、万民神胤説、神国・神仏習合などの伝統の蓄積によって制度的な足がかりが築かれた、
といえるようです。
じっさい、御誓文を伝える明治天皇の宸翰でも
「天下億兆一人も其の處を得ざる時は皆/朕が罪なれば…」
との天皇による普遍的な平等の決意が掲げられ、
「当時は寧ろ御宸翰に、重きを置き御誓文は却つて従たるものと思つた形跡がある」、
新聞でも「御宸翰は掲載してあるが、御誓文を掲載したものは殆んど無ひのを見ても、思ひ半に過ぐるものがある」(尾佐竹)とされます。
それゆえ、
人間本来の権利とは、
E・バークが主張したように、
ある時点で起きた新たな契約や抽象的な法概念に始まるのではない、
むしろ、他者を信頼する者すべてによって再確認され、過去から現在、そして子孫へとつづく
長期的で、歴史的な契約にもとづく、
と考えられるのではないでしょうか。
さらに
バークによれば、
それらは「理性の時代」にのみ、あらたに見いだされた「革新」ではなかった、
つまり
自由と平等は、
本来は、古来の権利にもとづくのであり、
はるか昔から慣習として保証されてきたがゆえに、より広範な普遍性を得ていくことになったと、
そう考えておいた方が、
歴史的には、より正確だといえるようです。