気がつくと前回記事から1ヶ月半経っている。この間と言うか現在は我が家の危機で有り、大きな試練を受けている。8月の盆明けに夫婦揃って新型インフルに罹り、私はすぐに治ったのだが、妻は体力が落ちて歩けなくなり救急車で入院する羽目になった。そして2週間ほど入院して新型インフルは治癒したのだが、コロナ菌が悪さしたのか、後遺症なのか、拒食症状態となり、かつネフローゼ症候群という厄介な病気を背負って退院することになった。ネフローゼというのは血液中の栄養分が何故か尿に流れ出て、体力が低下するという。拒食症のため、食事を殆ど摂らず日毎に体力が落ち、自力で歩けない状態に陥った。退院直後は拒食症を甘く見て、まぁ少しくらいは食べるだろうから自宅看護で行けるだろうと思っていたのだが、妻の拒食症は頑固で1日にお粥を小さじ3杯くらいしか食べない日が続いたので、これは効果が見込めなくても病院で点滴をしなくては死んでしまうと考え、娘達は入院できるディサービスやデイケアでリハビリを兼ねて治療することを進めたが、私は妻の状態から、「自力歩行出来なく、拒食なのにディサービスは行けない」と、判断したのだ。娘達は妻が拒食とは云うものの、上手に勧めればわずかでも食べると信じていて、要するに私の看護が十分ではないと思っているのだ。

 日に日に衰弱してゆく妻を見て、これではいけないと、入院できる施設・個人病院等を探していたが、ネフローゼ治療の総合病院の1ヶ月診断を受けた結果、即日入院となった。やはり、先生も病院で点滴を打って、症状に応じて適正な利尿剤量を処方することが1番だと思ったのだろう。そして今月の2日、妻は総合病院に入院することになった。入院して今日で8日目だが、点滴で膨らんだ足のむくみや張りも徐々に少なくなっている。食事もわずかながら食べ始めたようだ。何となく先行きに明るい日射しが指してきたように思う。

 ここ数日、急に寒くなって、風呂は昨日はシャワーではなく4ヶ月ぶりにお湯を張った。一人しか入らないのでもったいないのだが、お湯が恋しかった。妻には治ったら温泉に行こう!と言っているが、妻は気力を無くしていて前向きの言葉が少ない、面会は毎日行っているが、
「家に帰りたい」「このまま死んでも良い」「私にちゃんと食べているか、野菜を食べなさい」と必ず言う。私は「食べなさい、食べると全部が良くなるから」と毎回言う。私の望みは妻にもう一度綺麗な正装でお化粧を施した姿を見たいこと。このままじゃ、辛すぎる。

 妻の病気の件もあって、2ヶ月間ウオーキングに行ってなかった。今日は久しぶりに2時間ほど時間が出来たので氏神様である足立山妙見宮経由で歩くことにした。6月までは毎月1回は妻と参拝に来ていたのだが。妙見宮で妻のこと、私のこと、いろんなことをお願いした。
お願い事が多すぎるので、優先順位をつけたが。

2ヶ月ぶりの足立山妙見宮


今頃絶好調 季節外れのスイカ
8月に最後のスイカを収獲した。忙しかったのでスイカ園をそのままにしていたら、9月が暑かったためか、蔓が元気に伸びて伸びて。その中に立派なスイカが出きていた。これは儲けものとにやり。他の蔓にも大きな赤ちゃんスイカを抱えた雌花がたくさん出来ていた。これが2ヶ月前なら大喜びなのだが、これらが日の目を見ることはないだろう。

繁茂しているスイカの蔓。雌花が5個以上見つかったが、受粉は断念。

収獲予定日まではあと10日以上、寒さに耐えられるだろうか。


 
前回記事を投稿した翌日、昼間は暑くて例のごとくシャワーを浴びたのだが、何故か寒気がした。新しい下着に着替えても何かがおかしい。熱を測ると37.4度だった。最近はコロナが水面下で流行っていると聞いていたので、「やってしまったか」と思わざるを得ないほど、熱が出る予感があった。そして夕方になるとますます熱が出て38.4度になった。「これは、新型コロナ確定だ!」と娘が即座に近くのクリニックを手配し、そこで検査すると、見事に新型コロナ反応が出て陽性と診断された。その日から5日間隔離生活を送ったのだが、結果、見事に快復した。身体全体の節々が痛いような気がするが、その他の後遺症はなく、良かった。私の次に罹ったのが私を介護してくれた妻と長女。長女は2回目だ。妻は私より2日後れて熱が出て重症化した。気分が悪くて食事が取れない症状が続いたのでついに階段の昇降が不如意と成り、救急車の世話になった。それが一昨日の夜のことだ。今はコロナ病棟に入って、面会謝絶と成っているが、ラインで確認すると、新型コロナ自体は快復している模様だ。ただ血液中の栄養分が異常に少ない現象は続いており、その検査に時間が掛かっているようだ。

ついに我が家にも襲ってきた新型コロナ、最初の被害者は私なのだが、どこで罹患したのか皆目分からない。囲碁クラブ? でなければコープ? ワクチンは6回接種していて軽くて済んだのかもしれない。それにしても私が熱を出したのは・・・社会人に成って記憶がないので学生時代、55年以上にもなろうか。エアコンと扇風機を入れている部屋でも、暑苦しい自宅内隔離、ベッドで寝てなければならない辛さを味わった。

妻が入院して早くも3日、娘達が何かと心配してくれるが、何か落ち着かない。手足が地面に着かない感じ。長期入院に成らねば良いが。束の間の独身生活をエンジョイすることにしよう。

前回記事から1ヶ月が過ぎた。その間に最後まで残った九州の梅雨も明けたのだが、それと同時に大変な暑さにも見舞われた。と言っても38度や39度になったわけでは無い。35度くらいなのだが、それでも湿度が高いから毎日シャワーを3回浴びなければならないほどだ。特に今年はスイカに嵌まっているので、ミニ菜園で動くことが多いのでなおさらだ。

前回紹介した我が家の大玉スイカ、測ってみると重さはなんと5.1キロもあった。私が栽培したスイカでは過去最大だ。受粉日時を記録していなかったので完熟度が心配だったが、開けてみるとやや早かったものの甘さもあって、何とか美味しいスイカになっていた。これは、次も頑張らなければ!と、新たにスイカ栽培に力を入れた。。。脇芽を取ったり肥料を入れたり。
重さ5.1キロの種なしスイカ。私の記録です。


そして、現在大玉サイズのスイカが3個、小玉が2個、ミニが1個育っている。カラス対策は完璧にしていたつもりだったんだが、それでもミニ菜園の端に成っていた小玉サイズが1個がやられてしまった。カラスは少々の網では守れないようだ。頭を突っ込んで来るみたい。完熟するのは後1から2週間、それまでカラス被害から何とか守らねば。
完熟を待つ大玉スイカ




残念だったアンちゃん
昨年。ピティナピアノコンペティションで全国大会に出場して銀賞を受賞したアンちゃん、今年も全国大会を目指して頑張ったのだが、残念な事に、ソロ、連弾の両方とも次点で落ちてしまった。連弾は2位(1位のみ全国大会へ)、ソロは4位(3位までが全国大会)だった。どちらもあと一人という結果だったが、本人は頑張った結果なので仕方ないと思っているようだった。その慰労もあって、夏休みに入った暑い日の昼下がり、昔ながらの氷屋にアンちゃんをを連れて行ってかき氷を食べた。毎年夏になるとこのかき氷が恋しくなる。アンちゃんは妻と一緒にブルーハワイ?とか何とか言うメニュー、私は定番のミルク金時。今年は頭が痛くならずにスムーズに食べられた。神経が麻痺しているのだろうか。
ミルク金時


今日は15日。盆も終わりだ。台風7号が近畿を襲っているようだ。地球温暖化の影響が年々強く現れているように思える。ハワイの火事、ヨーロッパの猛暑、そして世界各地で起きている大水害、私たち人類の資産が減ってゆくばかり。何とかならないものだろうか、
それから、女子ワールドカップサッカー。ツキに見放されたようだ。絶好調だったようなので残念。次回はオリンピックというが、それまでこのレベルを維持して行けるかどうか、