感謝します。
飛行訓練中は、もちろんまだまだ緊張していますし、外国に行ってもどこに行ったらいいのか不慣れでした。
初期は、ロス、香港、グアム便が主で時々ワシントンD.C.便が着きました。
時には先輩に叱られながら、同期やセミ同期とのフライトではお互いを励ましながらの日々が続きました。
私が、キャビンアテンダントになりたかったのは、英語を使えることと、色んな国に行けることでした。
そして、訓練が終わり、仕事が落ち着いてきてから周りの人に言っていたのは、3年ぐらい働いたらオーストラリアで日本語教師になるということでした。
そして、キャビンアテンダントとしてキャリアを積みそれを極めている先輩を心から尊敬する一方、ただただ、この仕事につきたくてなり、この仕事をしている事を世間にひけらかす様な行動をしている人に疑問を感じていました。
私はこの仕事をする事で見聞や、食事、ワインなどに興味を持つ事が出来、現地のレストランでは、美味しいその国の食事を堪能しました。
国際線の拡張に従い、まだ入社2年目でファーストクラスのサービスもしました。そして、パーサーという、クラスをまとめるリーダーの仕事もしたりと刺激を受ける仕事をたくさんする事が、出来ました。
ミーハーな所では、有名人で私が昔好きだった、田原俊彦さんが乗っていらっしゃり、りんごをむいてサービスする事もしました。
ちょっと嬉しかったです。💕
そして、辞める予定にしていた3年目でスカンジナビア航空との共同運航便のメンバーに選ばれ、他社のクルーと一緒に働く機会を与えられた時、仕事が楽しくてもう1年働く事にしました。
この便に着いた時は、乗務が開放感と安心感のあるとても学びの多い機会でした。
その時の日本のキャビンアテンダントは若い人が多かったのですが、スカンジナビア航空のクルーには年配の女性もいました。
彼女たちは安心感と静かな自信のあるサービスをされていて新鮮だったのを覚えています。
この時から、スカンジナビア国では色んな事が世界よりも先進んでいたのだと思います。
そんなこんなで、4年目に入り同じ班の班長さんや上の先輩から、中堅としての役割を考え自覚を持って仕事をするようにプレッシャーがかかってきました。
さて、いつオーストラリアに行けるのでしょうか?
この次は、全日空での最後の方の私の状況とオーストラリアに来るきっかけをお話ししますね。
いつも読んでいただきありがとうございます。