おはようございますチューリップ
都議予定候補、伊藤大気です。
昨日も1日街頭に立ちました。
最近小学生や中高生によく声を掛けられます。
錦糸公園前で宣伝をしていたら、
4歳か5歳の子どもとお父さんが声をかけてきました。
 
お父さんが「将来の夢はなんなの?」と子どもに聞くと、
「国会議員」と答える子ども。
お父さんは「特に何も教えていないんだけどね」と。
お子さんはテレビなど見るなかで、
「なんか変」と思って、国会議員になりたいと思ったそうです。
 
今日も街頭で訴えていると、子どもたちが集まり、体育座り。
演説が終わり「何年生?」と聞くと「3年生!」と。
話をすると「こういう人に出会いたかった!応援します!」と元気一杯応援してくれました。「ありがとうね」と、みんなにチラシを渡し、握手をして別れました。
 
この中から将来国政を背負う人が登場するかもしれません。
子どもたちの未来のためにも頑張らねば。
 
さて、話は逸れましたが「都議選への足跡」第4回は、
2015年に開催した映画会についてです。
 
「放射能から子どもを守る会」は毎年1回程度講演会を開催し、
原発事故のこと、福島のことを忘れないでほしいと活動してきました。
 
2015年6月に、OurPlanetTVの白石草さんを招いて
「チェルノブイリ 28年目の子どもたち」の上映会を
することが決まり、街頭宣伝など行いました。
 
この取り組みについて「東京新聞」が報道してくれました。
原発事故から4年経ち、多くの人が日常生活に戻るなか、
あの事故を忘れてはいけない、今も避難生活を続けている人たちが
いることを伝えようと企画し、この活動のなかで新しい輪が広がっていきました。
 
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 この企画をとおして、福島県から神奈川へ、子どもと一緒に
避難生活をしているお母さん(Kさん)と出会い、講演をしてもらいました。
 
ログハウスを建てることが夢だったと語るKさん。結婚を機に福島県へ。
自然豊かな環境で、夢だったログハウスを建てることができ、
楽しく家族3人で過ごしていたそうです。
 
しかし原発事故が起き、その生活は一変します。
当時のことを話すと、いまでも胸が苦しくなるそうです。
 
「地震が起きたことはわかったが、原発が事故を起こしていることは、全く知らされなかった」と語るKさん。
 
地震はあったものの、それ以外は変わらぬ日常だった為、気分転換にと外に出て子どもと遊んだりして過ごしていたそうです。
 
すると、それまで鼻血など出したことのなかったお子さんが突如大量に鼻血を出し、自分自身の体調にも疲れや、肌がピリピリとひりつく症状が…
 
その後も風邪のような症状が数日間続き、「これはなにかおかしい」と思ったとき、福島第一原発が事故を起こしたことを知りました。
 
「このままこの場所で生活を続けて子どもを守れるだろうか」その思いから、実家のある神奈川県へ帰りました。
 
旦那さんは福島県に仕事があり、その後は家族バラバラの生活になります。
 
「娘は新しい小学校に居場所を作り、新しい生活、
 新しい人間関係が生まれた。
 福島県へ帰りたい?と聞いても、怖い…と」
 
「夢だったログハウスを建ち数年しか住んでいないのに。
 私たち家族の夢、生活を返してほしい」
 
この言葉は忘れることができません。
 
上映会時、すでに安倍政権は2017年3月までに避難区域を
解除することを明言していました。
それにともない自主避難者への支援を打ち切る。
 
いったい誰が皆さんの生活を壊したのでしょうか?
原発を推進してきた自民党、公明党政権ではないか!と強い怒りを感じます。
 
第一次安倍内閣の時に、吉井英勝議員(日本共産党・当時・衆院議員)が、
外部電源が喪失することで過酷事故が起きることを指摘したにも関わらず、
安倍首相(当時)は、「指摘はあたらない」と、いまと同じように
本質をはぐらかし、まともに答えなかった。
 
 
その時点で廃炉も含め対応ととっていたら、Kさん含め多くの方たちの
犠牲をうむことはなかったと思うと、本当に悔しく、
腹立たしい気持ちになります。
 
Kさんとの出会いは、僕に大きな影響をあたえました。
ただ平穏に、何事もなく普通に暮らしたい、
そう願う市民の願いを裏切るような政治は許せない。
あってはならない。
 
都議選に挑戦しようと思ったとき、Kさんの言葉が背中をおしてくれました。
Kさんの思いを胸に刻み、今日も1日頑張ります。
 
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ちょうちょこれまでの「足跡」チューリップ
 
 

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