西郷は西南戦争の一環である「和田越の決戦」に破れ

この地に敗走します。

この場所を選んだ理由は、これが背後にあるからです。

 

 

そう、前日の最終観光地で訪れた国見ヶ丘で石像があった

「ニニギノミコト」の陵墓(参考地)があるからです。

よって

新政府軍(天皇軍)は、ここに向けては銃弾を撃てないだろう、とふんでのことです。

 

資料館内では珍しい物も展示されていて

人斬半次郎(薩摩藩士:中村半次郎=桐野利秋)の刀や

 

 ↑西郷札↑

 

【ウィキペディアより:西郷札】

西郷札(さいごうさつ)は、西南戦争中に西郷隆盛率いる西郷軍(薩軍)が軍費調達のために発行した戦時証券、軍票。

 

西郷隆盛はお札を発行できるほど、信用があったのですね・・・。

まあ、このお札の大半は換金されずに処分されたと聞いていましたので

実物が展示されていてビックリしました・・・。

 

もちろん、資料館を観た後は、ニニギノミコトの陵墓も観光します。

拝見するに・・・陵墓というのは無理があるかな?って感じです。

少し小高くなっている地勢、と感じました。

まあ、神話の世界だから、やむを得ないでしょうけど・・・。

 

次回へと続く