「YAH YAH YAH」でブームの頂点を迎えた1993年 | ただひたすらCHAGE and ASKA

「YAH YAH YAH」でブームの頂点を迎えた1993年

 昨日から、また週刊誌の報道でASKAさんの周辺が騒がしくなっていますね。
 最近は、マー坊こと田中昌之さんや村上啓介さんら、楽しい音楽仲間が近くにおられるので、以前より安心できます。

 

 さて、今月還暦を迎えるASKAさん特集は、前回、1992年でしたので、今回は、1993年です。

 

 1991年に始まったチャゲアスブームは、失速するどころかむしろ加速し、1993年にピークを迎えます。

 

 1992年に開催したコンサートツアー『BIG TREE』は、当時史上最高となる45万人を動員します。それでもチケットが取れないファンが大量に出てしまいました。

 

 そのため、CHAGE&ASKAは、『BIG TREE』ツアーを映像化したコンサート映画『GUYS』を1993年1月から全国公開します。当時、コンサート映画は当たらない、と言われていましたが、『GUYS』は常識を覆す大ヒットを記録します。

 

 そして、2月にはブームを象徴する企画盤が生まれます。ASKA、小田和正、カールスモーキー石井、玉置浩二、徳永英明、浜田麻里、山本潤子による夢のユニット「USED TO BE A CHILD」によるコラボソング「僕らが生まれたあの日のように」が発売されます。
 メンバーは、今や全員が音楽業界のレジェンドですね。

 

 

 この曲は、厚生省のウェルカム・ベビー・キャンペーンソングとして制作されたもので、売上収益は、すべて寄付に充てられました。ASKAさんは、この当時から、社会貢献をしっかり考えた活動をされていたのです。

 

 

 「僕らが生まれたあの日のように」は、アメリカで発表されたチャリティー曲「ウィ・アー・ザ・ワールド(We are the world)」と比較されるほど、音楽史に残る名曲となりました。

 

 

 3月には、ついにあの楽曲が発売されます。
 私は、テレビドラマにあまり興味がなく、『101回目のプロポーズ』も観ておらず、『振り返れば奴がいる』も観る予定はありませんでした。

 


 しかし、1月に始まった『振り返れば奴がいる』の初回放送を観た友人が翌朝、学校に来るなり、興奮した口調で話しかけてきたことは鮮明に覚えています。
「1回観てみてよ。本当にいい曲。聴いて絶対損はない!」

 

 そう言われると、観ないわけにはいきません。

 また「SAY YES」のような名曲が生まれたのだろうか、と「SAY YES」をイメージしながら『振り返れば奴がいる』と観ると、私は、オープニングの一瞬で釘づけになりました。

 

CHAGE&ASKA「YAH YAH YAH」

 

 

 「SAY YES」とは全く異なるポップで爆発的な力を持つ楽曲。ASKAさんにしてはシンプルなメロディーでありながら、強く心に訴えかけてくるものがある。
 1回聴いただけで、名曲と認めざるを得ないほど、圧倒されました。

 

 

 小田和正さんは、この曲を聴いて「一体、何があったの?」とASKAさんに聴いたそうですが、サビがすべて殴るシーンで埋め尽くされるという異質の楽曲でもあります。

 

 

 この楽曲が生まれた理由は、音楽番組「MJ」で、勝手に「CHAGE&ASKAは演歌だ」という特集を組まれたことに対して腹を立てたASKAさんがその怒りの捌け口として作った、と言われています。
 それが瞬く間に、カラオケブームに乗って、国民的カラオケソングとなって、多くの人々が「YAH YAH YAH」を歌い、ストレスを解消するようになりました。

 


 アーティストのストレスの捌け口から、国民のストレスの捌け口へ。

 音楽の力を体現してくれた楽曲です。

 ちなみに、私の大学受験を支えたのも、この楽曲です。

 

 「YAH YAH YAH」は、3月の発売後、爆発的なヒットとなり、「SAY YES」に続いて、200万枚を突破します。
 当時、シングルで2曲のダブルミリオンを記録したのは、日本の音楽史上初の快挙でした。

 

 

 ASKAさんが以前、ブルネイ王国の王族からチャゲアスに1回のライブで50億円のオファーがあった話をしてニュースになりましたが、当時のチャゲアスを知っていれば、何も驚きません。
 私も、仮にどこかの国王で500億円くらい持っていたら、チャゲアスに50億円でライブのオファーを出しますから。
 CHAGE&ASKAは、それくらい価値の高いアーティストなのです。

 

 

 世間は、1990年代の日本での爆発的なブームをよく語りますが、もっと評価しなければならないのは、CHAGE&ASKAが様々な国でブームを巻き起こしたことですね。
 最近は、インターネットの発達で随分国際的にはなってきましたが、1990年代前半の日本と言えば、まだ閉鎖的な島国社会で、日本の音楽が世界に認められるというのは考えられない時代でした。野茂英雄が大リーグに挑戦したのが1995年ですからね。

 

 

 しかし、CHAGE&ASKAは、1993年、World Music Aword(モナコ音楽祭)にアジア人として初の出演を果たします。これは、CHAGE&ASKAが1992年からアジア最高売上を記録していたためです。彼らのアジア各国での人気は、マイケル・ジャクソンやマドンナをしのぐほどでした。

 

 CHAGE&ASKAは、1992年のWorld Music Awordにビデオ出演を果たすと、2年連続アジア最高売上となった1993年は生出演して「no no darlin'」を熱唱したのでした。

 翌年のWorld Music Awordでは、1993年後半に大ヒットさせたこの曲を熱唱しています。

 

CHAGE&ASKA「Sons and Daughters~それより僕が伝えたいのは」

 

 

 「YAH YAH YAH」とは全く異なる抒情ソング。ほぼアカペラでチャゲアスの卓越した歌唱表現力と日本情緒溢れるメロディーを響かせるこの作品は、10億人を超える視聴者をうならせました。
 もちろん、World Music Awordに3年連続で選出された日本人アーティストは、長い音楽史の中でもCHAGE&ASKAだけです。

 

 

 1993年は、前半にライブツアー『GUYS~夢の番人~』、後半からは『史上最大の作戦 THE LONGEST TOUR 1993-1994』を敢行し、いつ休んでいるだろうと思うほどの多忙を極めます。

 

 

 10月には「YAH YAH YAH」と「Sons and Daughters~それより僕が伝えたいのは」を収録したオリジナルアルバム『RED HILL』を発売し、日本だけで150万枚を超える売上を記録します。

 

 

CHAGE&ASKA「RED HILL」

 

 

 11月には「You are free」「なぜに君は帰らない」をシングルカットでヒットさせました。
 本当は、クリスマスミニアルバムを発表する予定だったそうですが、さすがに制作が間に合わず、シングル2枚となったのでした。

 

 

 すさまじいCHAGE&ASKAの勢いは、デビュー15周年となる1994年も続いていきます。

 

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